カスティーリャ軍の到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 15:37 UTC 版)
「アルジュバロータの戦い」の記事における「カスティーリャ軍の到着」の解説
カスティーリャ軍の先兵は昼食時に北から現れた。ポルトガル軍の強固な防御体制を見たフアン1世は戦闘を避け、約3万の軍勢とともにゆっくりと丘を迂回し始めた。カスティーリャ軍の斥候は、丘の南側には緩やかな坂があり、攻撃が可能であることを報告した。 カスティーリャ軍の移動を見て、ポルトガル軍は南側の坂へと反転した。ポルトガル軍は少数だったので素早く動くことができ、正午には最終地点へ到達した。アルヴァレス・ペレイラは兵の士気を高め、防衛陣地を仕上げるために堀にカルトロップ(まきびし)を仕掛けるよう命じた。このような戦術はイングランド軍の典型的手法で、おそらく戦場のイングランド同盟軍の提案によるものと思われる。 午後6時ごろ、ようやくカスティーリャ軍の戦闘準備が整った。フアン1世自身の記録によれば、カスティーリャ兵は8月の炎天下を朝から行進していたため、その頃には疲れ果ててしまっていた。もはや休止する時間もなく、すぐに戦闘が始まった。
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