父の崩御と内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 10:11 UTC 版)
「フアナ・ラ・ベルトラネーハ」の記事における「父の崩御と内戦」の解説
「第二次カスティーリャ継承戦争」も参照 エンリケ4世が1474年に崩御すると、イサベルを支持する勢力が拡大し(フアナの実父とされるベルトランもイサベル支持者であった)、後ろ盾のないフアナは母方の叔父であるポルトガル王アフォンソ5世の元へ救援を求めた。 アフォンソ5世は1475年にフアナと結婚し、翌1476年にカスティーリャへ侵攻した。 しかし、トーロの戦いでイサベルと夫フェルナンド5世(のちのアラゴン王フェルナンド2世)の軍に敗退した。 アフォンソ5世はフランス王ルイ11世と同盟の交渉をしたが、失敗に終わった。1479年、アフォンソ5世は、イサベルとフェルナンドの王位の正統性を認める和議に調印した。 ほどなくアフォンソ5世とフアナの結婚は、ローマ教皇シクストゥス4世により、近親婚を理由に無効とされた。正統性を否定されたフアナは修道院に送られ、リスボンで逝去した。死ぬまで手紙には La Reina(女王)と署名していたという。 先代: エンリケ4世 アストゥリアス女公 1462年 - 1464年 次代: アルフォンソ
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