父の帝位継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:22 UTC 版)
「ロタール1世 (フランク王)」の記事における「父の帝位継承」の解説
795年にカール大帝の息子ルートヴィヒ(のちの皇帝ルートヴィヒ1世)と最初の妻エルマンガルド・ド・エスベイの間の長男として生まれた。即ちカール大帝の孫にあたる。祖父カール大帝は、この5年後にあたる800年、ローマ教皇レオ3世からローマ皇帝の冠を授かった(「カールの戴冠」)。 フランク族の伝統に従い、祖父カール大帝はその領土を分割相続する手筈を整えた。ところが息子が相次いで没したため、ロタールの父ルートヴィヒが単独相続することになった。祖父カール大帝が没した814年、ロタールは父からバイエルンの支配を任された。 父ルートヴィヒ1世は敬虔王の異名を持ち、宮廷内の粛正を図るなど敬虔、厳格な人物であった。その彼は、817年聖木曜日にアーヘンの王宮の一部が崩壊し負傷したことを、死の訪れという神の意志と判断し、同年7月「帝国継承令(Ordinatio imperii)」を発布し、3人の息子への帝国分割を定めた(結局、ルートヴィヒはその後23年間も長生きするのだが)。
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