エルマンガルド・ド・エスベイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/05 20:50 UTC 版)
| エルマンガルド・ド・エスベイ Ermengarde de Hesbaye  | 
    |
|---|---|
|  フランク王妃 西ローマ皇后  | 
    |
|   | 
    |
| 在位 | 814年 - 818年 | 
| 
       | 
    |
| 出生 |  780年頃 | 
    
| 死去 |  818年10月3日 アンジェ  | 
    
| 配偶者 | 西ローマ皇帝ルートヴィヒ1世 | 
| 子女 |  ロタール1世 ピピン1世 アデライーデ ロトルーデ ヒルデガルト ルートヴィヒ2世  | 
    
| 家名 | ロベール家 | 
| 父親 | エスベイ伯イングラム(ロベール家) | 
エルマンガルド・ド・エスベイ(Ermengarde de Hesbaye)またはイルミンガルト・フォン・ヘスペンガウ(Irmingard von Hespengau、780年頃 - 818年10月3日)は、フランク王・神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ1世(敬虔帝)の最初の妃。
生涯
ヘスペンガウ(現在のベルギー領ハスペンゴウ/エスベイ地方)の伯爵だったイングラムの娘で[1]、794年にカール大帝の四男ルートヴィヒ(敬虔帝)と結婚した。814年、カール大帝が死去し、ルートヴィヒ1世が単独皇帝となった。818年、エルマンガルドはアンジェで没した。夫は819年、ユーディト・フォン・アルトドルフと再婚した。
子女
夫との間には4男2女の6人の子女をもうけた。
- ロタール1世(795年 - 855年) - 西ローマ皇帝、中部フランク王
 - ピピン1世(797年 - 838年) - アクイタニア王
 - アデライーデ(799年生)
 - ロトルーデ(800年生) - オーヴェルニュ伯ジェラール1世と結婚
 - ヒルデガルト(802年生) - オーヴェルニュ伯ジェラール1世(姉の寡夫)と結婚
 - ルートヴィヒ2世(804年 - 876年) - 東フランク王
 
脚注
- エルマンガルド・ド・エスベイのページへのリンク