エルマンガルド=ブランシュ・ダンジューとは? わかりやすく解説

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エルマンガルド=ブランシュ・ダンジュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/01 07:51 UTC 版)

エルマンガルド=ブランシュ・ダンジュー
Ermengarde Blanche d'Anjou

称号 ガティネ伯妃
ブルゴーニュ公妃
出生 1018年
アンジュー伯領、アンジェ
死去 1036年3月18日
ブルゴーニュ公領、フルーレ=シュル=ウシュ
埋葬 ブルゴーニュ公領
配偶者 ガティネ伯ジョフロワ2世
  ブルゴーニュ公ロベール1世
子女 ガティネ伯ジョフロワ2世の子
イルドガルド・ド・シャトー=ランドン
ジョフロワ3世
フルク4世
ブルゴーニュ公ロベール1世の子
イルドガルド・ド・ブルゴーニュ
家名 アンジェルジェ家
父親 アンジュー伯フルク3世
母親 イルドガルド・ド・オート=ロレーヌ・ド・スンゴー
宗教 キリスト教カトリック
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エルマンガルド・ダンジューErmengarde d'Anjou)またはエルマンガルド=ブランシュ・ダンジューErmengarde Blanche d'Anjou, 1018年 - 1076年3月18日)は、アンジェルジェ家アンジュー伯フルク3世と2人目の妻イルドガルド・ド・オート=ロレーヌ・ド・スンゴー上ロレーヌ公ティエリー1世娘とされる)の娘。最期はフルーレ=シュル=ウシュの教会で2人目の夫ブルゴーニュ公ロベール1世とともに暗殺されたとされる。

生涯

彼女は最初、ガティネ伯ジョフロワ2世と結婚し、3子を儲けた。

1046年に実母イルドガルドエルサレムへの巡礼の旅の途中で死去した時、エルマンガルドは既に未亡人となっており、後にブルゴーニュ公ロベール1世と再婚し1女をもうけている。

実兄アンジュー伯ジョフロワ2世1060年に亡くなったが、嗣子がいなかったため、アンジュー伯領はエルマンガルドと前夫ガティネ伯ジョフロワ2世の息子ジョフロワ3世フルク4世が分割相続した。

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