エルマン (エノー伯)とは? わかりやすく解説

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エルマン (エノー伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/29 07:58 UTC 版)

エルマン
Herman
エノー伯
在位 1039年 - 1049年

死去 1049年7月3日
配偶者 リシルド
子女 ロジェ
ジェルトリュード
家名 レニエ家
父親 エノー伯レニエ5世
母親 マティルデ・フォン・フェアドゥン
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エルマン(Herman, ? - 1049年7月3日)は、モンス伯およびエノー伯(在位:1039年 - 1049年)。

生涯

エルマンはエノー伯レニエ5世と、ヴェルダン伯ヘルマンの娘マティルデの息子とみられる。

父よりモンス伯位を継承し、神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世と対抗するため、ロートリンゲン公ゴットフリート3世およびフランドル伯ボードゥアン5世と同盟を結んだ。これによりヴァラシエンヌ伯領を獲得し、エノー伯領の再構築が完了した。皇帝と同盟を結ぼうと考えていた妃リシルドは、ヘルマンにリエージュ司教ワゾンを投獄させようとしたが、ヘルマンは拒否した。

1040年にヘルマンはリシルドと結婚した。リシルドの出自ははっきりしない。2人の間には2子が生まれた。

エルマンの死後、リシルドはボードゥアン5世の息子ボードゥアン6世と再婚し、ボードゥアン5世はエルマンの子供たちを相続から外した。ボードゥアン6世がエノー伯およびフランドル伯となった。エノー伯位がリシルドの新しい夫と子供たちに渡ったため、リチルドがレニエ5世の娘とされることがある。

参考文献

  • Napran, Laura (Translator), Gilbert of Mons, Chronicle of Hainaut, Boydell Press, Suffolk, 2005
  • Varenbergh, Emile, Herman, Académie royale de Belgique, Biographie nationale, vol. 9, Bruxelles, 1887, pp. 257-258
  • Comtes de Hainaut, 998-1051, Reginar Family”. Medieval Lands Project. 2023年4月29日閲覧。
先代
レニエ5世
エノー伯
1039年 - 1049年
次代
ボードゥアン1世



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