カスティーリャの内乱とスペイン王国の誕生
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「レコンキスタ」の記事における「カスティーリャの内乱とスペイン王国の誕生」の解説
1350年に即位したペドロ1世が、王権の強化を狙って継承権を持つ親族の排除を開始したため、カスティーリャは内乱(第一次カスティーリャ継承戦争)に突入した。トラスタマラ伯エンリケは、アラゴン王国の支援を得て異母弟のペドロ1世に対抗した。この頃、ヨーロッパでは百年戦争が進行中であり、両者とも支援を求めてフランスやイングランドに接触したため、国外勢力が多数流れ込み、必然的に内乱は激化した。1369年、エンリケはペドロ1世を排除し、エンリケ2世として即位した。これによって、カスティーリャ王国の王統はトラスタマラ家に交代した。 1474年、イサベル1世がカスティーリャ女王に即位した。彼女の夫はアラゴン王太子ジローナ公フェルナンドで、共同統治王としてフェルナンド5世と称される(カトリック両王)。1479年、フェルナンドがフェルナンド2世としてアラゴン王に即位する。これによってカスティーリャとカタルーニャ=アラゴンは実質的に統合され、スペイン王国(イスパニア王国)が誕生した。
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