カスティーリャによる征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:45 UTC 版)
「グアンチェ族」の記事における「カスティーリャによる征服」の解説
詳細は「カナリア諸島制圧(英語版)」および「カナリア王国(英語版)」を参照 カスティーリャ王国によるカナリア諸島の征服は、1402年、ジャン・ド・ベタンクールとガディフェール・ド・ラ・サール(英語版)によるランサローテ島の探検遠征から始まった。先住民たちは農業技術の貧弱さから飢饉に苦しんでおり、すぐにスペイン側に帰順したため、ガディフェールは難なくランサローテ島とフエルテベントゥラ島を手中に収めることができた。 残る5島は抵抗の道を選んだが、エル・イエロ島に住む集団(Bimbache(英語版))が投降した後、ラ・ゴメラ島、グラン・カナリア島、ラ・パルマ島も次々と帰順していき、1496年にはテネリフェ島も制圧された。 第一次アセンテホの戦い(英語版)(1494年5月31日)においては、グアンチェ勢力側が谷間を利用しカスティーリャ軍へ奇襲を仕掛けた。指揮官アロンソ・フェルナンデス・デ・ルーゴ(英語版)はどうにか難を逃れたものの、カスティーリャ軍は8割近くの兵を失う大損害を受けた。このため、戦場となった土地には後日La Matanza(英語版)(「殺戮」の意)の名がつけられた。 ルーゴは後日テネリフェ島南部の支配権を得て当地へ舞い戻り、アグエーレの戦い(英語版)でグアンチェ族勢力を打ち破った。島北部の首長や統治者たちは、1496年、第二次アセンテホの戦い(英語版)においてTaoro(英語版)(現在のオロタバ渓谷(英語版)付近)の王Bencomo(英語版)の後継者Bentorが打ち破られたことで投降に至った。
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