カスティーリャとレオンの再統合、聖王の大レコンキスタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 17:17 UTC 版)
「ブルゴーニュ朝 (カスティーリャ)」の記事における「カスティーリャとレオンの再統合、聖王の大レコンキスタ」の解説
1217年にアルフォンソ9世とベレンゲラの息子フェルナンド3世がカスティーリャ王に即位するが、1230年に父王の死によりレオン王位も兼ね、以後両王位は統合された。フェルナンド3世は「大レコンキスタ」と呼ばれるアンダルシアの征服を推し進めた。1236年にコルドバを攻略したのを皮切りに、ムルシア、ハエンを制圧し、ナスル朝を臣従させるに至った。そして、1248年にはセビリアを落としている。フェルナンド3世はマグリブにまで兵を進める予定だったと言われているが、1252年に死去した。彼はその業績から「聖王」と呼ばれ、後に聖人に列せられている。
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