カスティーリャとの関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 02:58 UTC 版)
「アルフォンソ5世 (アラゴン王)」の記事における「カスティーリャとの関わり」の解説
父フェルナンドは元はカスティーリャ王子であり、アルフォンソもカスティーリャのメディナ・デル・カンポで生まれた。1415年、伯父のカスティーリャ王エンリケ3世と王妃カタリナの長女で従妹に当たるマリア・デ・カスティーリャと結婚し、翌1416年に父の死によって王位を継承した。なお、1418年に妹マリアが妻の弟で従弟であるカスティーリャ王フアン2世と結婚、1420年には弟エンリケが妻の妹カタリナと結婚、アラゴンとカスティーリャは3組の結婚で結び付いた。 父がカスティーリャの摂政だった縁を利用してカスティーリャへの干渉を行い、有力貴族と気脈を通じていた。アルフォンソは2人の弟フアンとエンリケと共に「アラゴンの王子たち」(Infantes de Aragón)と呼ばれ、カスティーリャ王フアン2世は彼らの圧迫に苦しめられた。特にフアンとエンリケはカスティーリャにのめりこんで反乱を引き起こしたり、エンリケに至っては1418年にフアン2世の誘拐までして、カスティーリャに悪影響を及ぼした。
※この「カスティーリャとの関わり」の解説は、「アルフォンソ5世 (アラゴン王)」の解説の一部です。
「カスティーリャとの関わり」を含む「アルフォンソ5世 (アラゴン王)」の記事については、「アルフォンソ5世 (アラゴン王)」の概要を参照ください。
- カスティーリャとの関わりのページへのリンク