日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館とは? わかりやすく解説

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日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 00:46 UTC 版)

大阪松竹座」の記事における「日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館」の解説

テラコッタ使用したネオルネッサンス様式正面玄関特徴あるアーチを持つ劇場建築1923年大正12年)に竣工する。イタリア・ミラノのスカラ座モデルに、大林組設計技師木村得三郎設計した日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館であり、大阪初の洋式劇場として同年5月17日開場したオープン初日プログラムは、エルンスト・ルビッチ監督ドイツ映画ファラオの恋』(Das Weib des Pharao)、松竹蒲田撮影所野村芳亭監督映画『母』が上映され映画幕間松竹楽劇第1回公演アルルの女』が上演された。 梅田北野劇場と並ぶ、大阪洋画殿堂として優秀外国映画の上映を行ったほか、松竹楽劇部から発展した大阪松竹少女歌劇団 (OSSK) のレビュー行った第二次世界大戦後松竹映画封切館として再開したが、その後洋画ロードショー館に転向1970年代以降渋谷パンテオン/丸の内ルーブル系列映画館として、『タワーリング・インフェルノ』『ジョーズ』『E.T.』『ラストエンペラー『ボディガード』など数多くヒット作大作上映。また2階には松竹芸能本社事務所テナント入っていた。1994年平成6年5月8日映画館として役割終え劇場改装するため閉館最後の上作品『風と共に去りぬ』であった

※この「日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館」の解説は、「大阪松竹座」の解説の一部です。
「日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館」を含む「大阪松竹座」の記事については、「大阪松竹座」の概要を参照ください。

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