日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館
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「大阪松竹座」の記事における「日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館」の解説
テラコッタを使用したネオルネッサンス様式の正面大玄関の特徴あるアーチを持つ劇場建築は1923年(大正12年)に竣工する。イタリア・ミラノのスカラ座をモデルに、大林組の設計技師・木村得三郎が設計した日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートの映画館であり、大阪初の洋式劇場として、同年5月17日に開場した。 オープン初日のプログラムは、エルンスト・ルビッチ監督のドイツ映画『ファラオの恋』(Das Weib des Pharao)、松竹蒲田撮影所の野村芳亭監督の映画『母』が上映され、映画の幕間に松竹楽劇部第1回公演『アルルの女』が上演された。 梅田の北野劇場と並ぶ、大阪の洋画の殿堂として優秀外国映画の上映を行ったほか、松竹楽劇部から発展した大阪松竹少女歌劇団 (OSSK) のレビューも行った。 第二次世界大戦後は松竹映画の封切館として再開したが、その後洋画ロードショー館に転向。1970年代以降は渋谷パンテオン/丸の内ルーブル系列の映画館として、『タワーリング・インフェルノ』『ジョーズ』『E.T.』『ラストエンペラー』『ボディガード』など数多くのヒット作や大作を上映。また2階には松竹芸能の本社事務所がテナントで入っていた。1994年(平成6年)5月8日に映画館としての役割を終え、劇場へ改装するため閉館。最後の上映作品は『風と共に去りぬ』であった。
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