日本初の鉄道敷設計画とは? わかりやすく解説

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日本初の鉄道敷設計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:59 UTC 版)

大隈重信」の記事における「日本初の鉄道敷設計画」の解説

大隈伊藤鉄道計画立てたのは1869年から1870年頃のことと考えられる井上馨渋沢栄一相談され大隈は「賛成せざりしにあらざれども、時の情勢に危ぶところあり」が「斥けかかる反動気焔を挫かんには、かかる大事業を企成して天下耳目新たにするに如くはなし」と答えている。 1869年11月5日右大臣三条実美東京邸宅において岩倉具視沢宣嘉大隈重信、それに伊藤博文パークス非公式に会談しているが、大隈伊藤事前にパークス協議した脚本どおりに議事進行。「折から東北九州凶作見舞われ北陸近鉄反対に豊作聞く鉄道があれば豊作地の米を凶作地に短時間大量に輸送することが可能になり、以降日本凶作への不安から解放される」というパークス主張三条岩倉ともに手を打って賛同し11月10日には鉄道敷設正式に廟議決定された。その内容は「幹線として東西両京東京京都)を結び、支線として東京横浜線ならびに琵琶湖敦賀港線敷設するが、その第一着手線としたのは、ときの政治拠点外交拠点直結するという意味以外に、爾後鉄道拡張必要な資材外国から輸入する港湾確保という意味もあったようである。12月には廟議東京関西を結ぶ幹線と、枝線として東京-横浜間計画決定し手始め東京-横浜間建設されることとなったこの際決まった東京-関西ルート中山道沿いを通るもので、山間部開発に繋がることと、海に近い東海道では軍艦からの攻撃を受けやすいので避けたいという陸軍意向働いたという。ただ大隈は『大隈重信自叙伝』にて「その計画は、鉄道敷設起点東京とし、横浜より折れて東海道を過ぎり、京都・大阪を経て神戸達するを幹線為し京都より分かれて敦賀に至る支線敷き、この幹線支線を以て第一着手敷設線路為し、これより漸次してついに全国に及ぼさんと図りしなり」と述べている。結局中山道ルート山間部開発あまりにも困難と判断されたようで、前述1869年12月廟議計画東海道ルートを通るよう変更された。 資金外債募集に頼ることとなった。そのため「我が神洲土地を典じて外債募集する」という陸軍兵部大輔前原一誠筆頭として反対運動発生し鉄道建てる試験のための電信線を傷つけ電線切断するなどの行為あったようである。因みに兵部西郷隆盛反対があり、最初京浜鉄道陸路を使う事ができず海を埋め立て通したとも言われれる。また枢密院議長だった黒田清隆当初は大反対だったものの、1871年1月から5月にかけてアメリカ合衆国ヨーロッパ諸国旅行して鉄道重要性体感し賛成転じた大隈述べている。 1869年11月10日鉄道敷設正式決定した2日後には大隈重信伊藤博文レイ仮契約交わしたレイ借款100万ポンド借款で、30ポンド鉄道敷設使い残り外債償却使用するものであった。また大隈重信外国では鉄道軌間基準がどうなってるかレイ訪ね、それに対し日本のような川や山が多く平地少ないところでは、南アフリカなどに敷設されている3フィート6インチ1067mm:ケープゲージ)が適当だと勧められたため、これを導入している。ただしこれはレイが同じケープゲージを採用していたインド中古資材購入して、その利ざやを稼ぐための意図があっての回答であり、欧米通常軌道より狭いものであったこのため大隈後年一生一代不覚であったと悔やむこととなった。ただ1870年5月20日イギリスから『タイムズ』が大隈らのもとに届き、そこに4月23日レイロンドンにおいて公債公募による詐欺行ってたとする記事掲載されていたため、レイ借款即時解除するという騒動発展した1871年7月半ば横浜港イギリスから届いた機関車客車陸揚げされた(基本的にこの京浜鉄道外国からの中古品流れものによって構成されていたようだ)。伊藤岩倉11月12日より岩倉使節団として欧州出発し日本不在したため日本初鉄道開業留守司る大隈のもとで行われることになった1872年6月12日明治5年5月7日)に品川-横浜間で仮営業開始し同年10月14日明治5年9月12日)に開業している。

※この「日本初の鉄道敷設計画」の解説は、「大隈重信」の解説の一部です。
「日本初の鉄道敷設計画」を含む「大隈重信」の記事については、「大隈重信」の概要を参照ください。

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