仮処分申請までの経緯とは? わかりやすく解説

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仮処分申請までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:16 UTC 版)

千日デパートビル火災民事訴訟」の記事における「仮処分申請までの経緯」の解説

千日デパート火災発生翌日14日から全館休業状態になった。同デパート罹災した171店舗テナントは、早期営業再開実現するために同日千日デパート罹災業者復興対策委員会(以下「復興対策委員会または復興委」と記す)」を結成した復興委は営業再開へ向けた準備のために役所金融機関回って陳情した15日復興対策委員会総会千日デパート経営会社ある日ドリーム観光常務取締役兼務するデパート店長出席し「デパートビルの復興全力取り組み一日でも早い営業再開目指す」という意向表明した。しかし、それからわずか3日後の18日復興メンバーとの面会デパート店長態度一変させた。復興委との交渉において日本ドリーム観光は「テナントニチイ千日前店)が火災起こしたのだから我々こそが被害者である」と主張した。また失火元のニチイ千日前店長17日復興総会出席して挨拶したが「火災工事業者(O電気商会)の失火である」ことを強調し自社責任否定したニチイは、復興委と合同で「特別合同委員会」を設立し店舗復興その方法考えたい」とする見解示した。またニチイ20日復興総会において道義的責任から「見舞金5,000万円」を提示したが、復興委側は提案拒否し金額については引き続き交渉するとした。日本ドリーム観光態度協力的姿勢から対立姿勢変化した理由は、火災発生責任自社に及ぶことを警戒し始めたからだと考えられた。 復興対策委員会日本ドリーム観光対し団体交渉などを通じて早期営業再開度重なる要望おこなった。しかし同社は、当初表明していた早期営業再開方針大きく変えようとしていた。6月下旬デパート営業再開向けて首相官邸」や「関係省庁」、大阪府大阪市の各役所大阪市消防局大阪府警などに陳情する復興委の行動知った日本ドリーム観光代表取締役社長松尾國三は「そのような行動があるならデパート営業再開はしない」と方針一変させ、デパート店長社長方針転換復興メンバー告げたその方に対して一部復興メンバー反発し7月1日深夜デパート店長自宅近く待ち伏せ日本刀片手店長脅して拉致した。そして千日デパートから程近い喫茶店内に設置され復興本部で約8時間にわたり店長監禁状態にして休業補償要求し書類署名するよう強要した。「店長監禁事件」をきっかけに、日本ドリーム観光側の態度硬化し復興内部足並み乱れ始めた復興対策委員会は、早期営業再開求めるのと同時に休業期間中の補償求めていたが、日本ドリーム観光回答は「当社失火責任無くビル使用できるかは調査中であり、その目途立っていない。補償交渉には当分応じない」というものだった。これに対し復興委は反発し民法上もビル所有者責任は当然ある」として早期営業再開休業補償応じなければ街頭などで抗議行動起こす表明した話し合いにも説明にも応じない日本ドリーム観光業を煮やした復興対策委員会は、7月10日午前集会開いた後、午後から340人の参加者主張や要求書かれた「むしろ旗150本を掲げ御堂筋ミナミ界隈3時間に亘りデモ行進した一行の代表は新歌舞伎座1958年竣工難波新地5番町)の中にある日ドリーム観光本社幹部面会申し入れたが叶わず、その後新歌舞伎座の前で抗議活動おこなったデモ行進翌日午後千日デパートビルの1階南側外周部に入店している13店舗営業再開したビル使用許可大阪市から下りていない中での強硬再開だった。これに対して日本ドリーム観光営業中止勧告したが、テナント側は「死活問題だ」として拒否した復興対策委員会は、早期営業再開要求などの長期闘争備えて日本ドリーム観光保有一部取得し一株運動」を展開した7月17日までに総1億5,200のうちの1万5,000取得したうえで名義変更おこない9月末の株主総会出席し日本ドリーム観光側の責任追及する表明した店長監禁事件デモ行進後の7月中旬日本ドリーム観光は、罹災テナントに対して話し合い解決したい旨を申し入れてきた。右同社社長松尾國三との会談をおこなうにあたりテナント側の出席者一方的に指名した復興対策委員会メンバーは、いくつもテナント団体集結して結成されていたが、主要な団体からはそれぞれ代表者1名のみが指名された。ところが「店長監禁事件」を起こしたメンバー所属するテナント団体復興委は代表者指名されなかった。これに激怒した復興委側は、各テナント団体解散させ、店長監禁事件起こしたメンバー率い団体一本化するために各会員らを強制加入させようとした。その動きに対してテナント団体一つである「和会(しょうわかい)(37名)」は解散要求応じず、テナント団体同士対立深まっていった。和会は8月20日総会開き復興委から再三にわたり解散要求突きつけられたことから、この出来事機に復興対策委員会正式に脱会することを決議した和会役員は、非公式ながらデパート店長面会し独自に日本ドリーム観光交渉する承諾を得ることに成功した和会が脱会した後に復興対策委員会二つグループ「旧千日デパート罹災業者復興対策委員会62名)」と「新千日テナント会(61名)」に分裂した9月28日日本ドリーム観光の「第百回定時株主総会」が大阪府立体育館開かれた総会には旧復興対策委員会メンバーの「一株株主」約300人が出席した総会発言した代表取締役社長松尾國三は、遺族補償について「ニチイとO電機商会中心になり、火災関係4社で補償について折衝してきた」ことを報告したあと、ニチイ批判したうえで「ビル所有者だからといって被災したテナント休業補償する考えはない。全国ビル業者のためにも譲れない。たとえ裁判持ち込まれても最高裁まで徹底的に争う方針だ」と述べた。またデパートビルの復旧については「ビル耐力診断建設省建築研究所依頼しており、その結果今月末(9月末)にも判ることから、それを待って復旧対策立てる」と述べたテナント対す休業補償については、社長の口からはっきりと拒否姿勢示されたことで「一株株主」たちは激しく抗議した発言封じ込められ総会1時間ほどで終了した株主総会出席した復興対策委員会メンバー代表は、日本ドリーム観光との営業再開交渉進展しない中で今後の方針として「これ以上交渉して望みはないので民事訴訟起こすつもりだ」と表明し争点法廷持ち込む構え見せ始めたニチイに対しては「ビル復興後補償交渉に入る約束だったが、復興目途立たないので早急に交渉入りたい」と述べた一方和会はあくまでも話し合いによる解決模索した火災発生から5か月株主総会から1か月経った10月下旬日本ドリーム観光から各テナント経営者に対して一通内容証明郵便送られてきた。その内容要約すると、おおよそ以下のようなことが書かれていた。 (要約大阪市建設局指示に従って千日デパートビルの体力診断を「建設省建築研究所」に依頼したところ、火災の影響によって建物耐用年数が非常に短縮されたという結果出た。同ビル改修または補強するなどして再使用するとなれば新築するのに等し工期資金要するにもかかわらず経営面からみれば売場減少による収益悪化避けられず、莫大な資本投下して資金回収することは明らかに不可能であり、したがってビル物理的または経済的に滅失したと判断できる。よって同ビル新しく建て替えることになったので、従来の各テナント賃貸借契約火災当日終了した契約終了したので入店時に与った保証金振興協力金清算したうえで各テナント返却する新ビル落成した際には、保証金振興協力金持参入店申込できる。ただし、建物設計ができていないので場所や坪数、新賃貸条件をまだ明示できないこのような事態になったのは第三者による重失火結果である —日本ドリーム観光株式会社 代表取締役社長 松尾國三現場神宿2006 日本ドリーム観光は、千日デパートビルを営業再開するにあたり大阪市建設局から「公的機関にデパートビルの耐力診断調査依頼し補修する改築するかを決定せよ」と命令され、それに従い建設省建築研究所」に調査依頼していた。調査結果は「受託試験研究報告書」にまとめられその結果を基に日本ドリーム観光示した判断は「火災によって建物は火害を受け、物理的に経済的に滅失した」というもので、千日デパートビルを建て替える決断下されたそのことによって各テナント経営者に対して契約解除」を通告する内容証明郵便送られてきたのだった罹災テナントは、家主からの一方的な通告によって千日デパートビルの賃借権失い早期営業再開望み絶たれてしまった。キーテナントであるニチイ千日前店も「火災責任は、右同社防災上の不注意によるのである」とする日本ドリーム観光主張により、保証金4億円の返済無し賃貸借契約解除通告された。 1972年11月15日、デパートビル建て替え計画による賃借権喪失事態受けて二つ分裂した復興対策委員会のうち、旧復興グループ所属する一部会員日本ドリーム観光相手取って賃借権確認訴訟起こした復興委から分裂した千日テナント会は、日本ドリーム観光との交渉千日デパートビルの建て替え計画同意した一方和会は、弁護士中坊公平によって内容証明郵便対す回答文を作成し差出人和会会員各個人名にして日本ドリーム観光返信した。以後日本ドリーム観光交渉するにあたり中坊弁護士和会の代理人務めることになった和会は、社長松尾國三直接交渉する際、いくつかの要求提示した新ビル建設場合は、和会会員賃借権保証すること。 新ビル入店後の賃料他店同額良いが、休業損害分を家賃から控除し、その割合話し合うこと。 商品など損害即時弁償すること。 しかし日本ドリーム観光側は、保安管理契約存在および保安管理契約に基づく債務不履行責任損害賠償責任について認めようとせず、交渉進展しなかった。和会側が右同社求めに応じて保安管理責任根拠具体的に示したところ、同社常務取締役デパート店長交渉中断して席を立ってしまい、交渉決裂したそれ以降同社態度は更に硬化した日本ドリーム観光和会に対して何度和解案を提示してきたものの、同会としては、自分たちの要求無視するのような内容で到底応じることができないのだったこの頃日本ドリーム観光に対しては、旧復興対策委員会一部メンバー提起した賃借権確認訴訟のほかに、ニチイ賃借権妨害予防に関する仮処分申請出していた。仮処分申請受けて日本ドリーム観光ニチイに対して損害賠償訴訟提起しニチイ反訴日本ドリーム観光提訴した。また火災被害者遺族日本ドリーム観光を含む火災関係4社を相手取って損害賠償請求訴訟提起していた。千日デパートビル火災を巡る民事訴訟は、徐々に訴訟合戦」の様相見せ始めた日本ドリーム観光は、1973年入ってからニチイ被害者遺族、旧復興メンバーから損害賠償請求訴訟提起されて既に被告となっていたが、その最中にも千日デパートビルの再建計画着々と進めていた。右同社は、1973年4月から工事取り掛かり1975年春までには新ビル完成させる方針明らかにした。総工費50億円で地下3階地上9階から10階建ての賃貸形式商業ビル新たに建設し、旧テナント基本的に全て新ビル入店させる計画とした。ただし「ニチイ千日前店」については、訴訟係属中であることや火災責任問題感情的なわだかまりがあることなどから「新ビルへの入居認めるのは難しい」とする見解示した。また同社は「プレイタウン」などの風俗営業店を新ビル内で営業することは取り止めるとした。日本ドリーム観光から持ち上がった「デパートビル再建計画」の動きに対して被害者遺族結成した千日デパートビル火災遺族の会」52遺族135名は、千日デパートビルの証拠保全大阪地裁申し立てた。これにより、千日デパートビルの取り壊しは、当面の間できなくなった和会は、本件火災によって店舗被災し営業再開目途立たない状態で交渉長引けば収入無くなり会員の生活が困窮するのは明らかであったため、中坊弁護士団長とする6名の弁護士構成される弁護団結成した。そこで和会は、和解交渉有利にする切り札として1973年6月1日日本ドリーム観光に対して会員1人当たり毎月10万円の生活費支払要求する仮処分大阪地裁申請した毎月合計360万円支払い要求だった。ところが仮処分申請は緊急性がないと判断され認められず、弁護団同年9月14日申請取り下げた和会各会員窮状を救う目的での申請だったが、一部会員千日デパート以外の店舗でも営業活動続けており、そちらの収益があるだろう、と裁判所判断され結果だった。

※この「仮処分申請までの経緯」の解説は、「千日デパートビル火災民事訴訟」の解説の一部です。
「仮処分申請までの経緯」を含む「千日デパートビル火災民事訴訟」の記事については、「千日デパートビル火災民事訴訟」の概要を参照ください。

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