事故事例
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2006年4月9日 - 鹿児島商船のトッピー4が屋久島から鹿児島港へ運航中、佐多岬の西北西約3kmで材木と衝突、航行不能となった。100名以上が負傷、約30名が重傷を負った。 2007年4月13日 - 未来高速のコビーが博多港から韓国・釜山港へ運航中、対馬の北西約16kmで何らかの物体と衝突、航行不能となった。1名が死亡、12名が重傷、79名が軽傷を負った。 2012年4月12日 - 種子屋久高速船のトッピー1が鹿児島港から屋久島へ運航中、佐多岬の西約2kmでクジラと衝突、航行不能となり海上保安庁の巡視艇で山川港へ曳航。5名が負傷。 2012年6月3日 - 九州郵船のヴィーナス2が博多港から壱岐を経由して厳原港へ運航中、対馬の南東約13kmでクジラとおもわれる海洋生物と衝突、船体の損傷、負傷者等はなし。 2013年11月29日 - 噴射飛航の木星が香港からマカオへ運航中、香港沖で何らかの物体と衝突。87名が負傷、うち3名が重傷。 2014年3月18日 - 九州郵船のヴィーナスが博多港から壱岐を経由して厳原港へ運航中、対馬の南東約35kmでクジラとおもわれる海洋生物と衝突、自力航行を継続して厳原港へ入港。乗客1名が軽傷。 2015年4月10日 - 未来高速のコビーIIIが釜山港から博多港へ運航中、釜山沖南東25kmでイルカあるいはミンククジラと衝突、航行不能となり海洋警察庁の警備艦で釜山港へ曳航。16名が軽傷。 2016年1月8日 - JR九州のビートルが釜山港から博多港へ運航中、釜山沖約16kmでクジラとおもわれる海洋生物と衝突、翼走出来なくなり釜山港へ引き返した。乗員乗客8名が軽傷。 2016年1月20日 - JR九州のビートルが釜山港から博多港へ運航中、小呂島の北14kmで海洋生物とおもわれる物体と衝突、翼走出来なくなり約2時間遅れで博多港へ入港。乗員1名が軽傷。 2016年2月6日 - 東海汽船のセブンアイランド友が熱海港から伊豆大島へ運航中、伊豆大島の北西13kmの沖合で、クジラと思われる海洋生物と衝突、衝撃で船首に多少の浸水があり、エンジンが再始動できない状態となったため、タグボートによって伊東港に曳航された。死傷者は発生していないが、船酔いを訴えた乗客7人は、海上保安庁下田海上保安部の巡視船に乗り換え、伊東港に先行した。 なお、この事故で当該船と衝突したと思われるマッコウクジラの死骸が漂流しているのが同年同月11日に三浦市の西方沖で発見されており、死骸は同月13日に小田原市酒匂の海岸に漂着している。 2017年2月21日 - 九州郵船のヴィーナスが午後1時10分ごろ、長崎県対馬市の厳原港東南東約15キロの沖合を航行中に「海洋生物らしきものと衝突した」と対馬海上保安本部に通報。乗客乗員104人のうち、乗員5人が手や膝を打ち、軽いけがを負った。高速航行ができなくなり、約2時間遅れで、目的地の厳原港に到着。そのため23日までヴィーナスの運行を中止した。 2019年3月9日 - 佐渡汽船のぎんがが新潟港から両津港へ運航中の12時17分ごろ、佐渡島の姫崎から東におよそ4.5km離れた沖合で海洋生物らしき物体と衝突し乗客・乗員125人のうち80人が重軽傷(13人が重傷)、船はその後自力で航行し13時28分に両津港に入港した。海洋生物とみられる物体は、船底にある「ストラット」と呼ばれる海水を吸い込んで吐き出すための機械に衝突したとみられている。 2021年2月18日 - 佐渡汽船のつばさが新潟港から両津港へ運行中の17時すぎに、佐渡島の姫崎から東におよそ10kmの海上で漂流物らしきものを吸い込み電源を喪失し漂流した。同ルートで佐渡へ向かっていた同社のカーフェリーによる曳航を試みたものの、ロープが切れて失敗。第九管区海上保安本部の巡視船・巡視艇が曳航し、本来の到着時間から9時間後の翌午前2時すぎに両津港へ到着した。乗客乗員40人に怪我はなかった。
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事故事例
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1904年(明治37年)5月 - 旅順港閉塞作戦において戦艦八島12in砲、防護巡洋艦厳島4.7in砲。7月、黄海海戦において戦艦三笠12in砲。分隊長として乗組の伏見宮博恭王が負傷した。 1905年(明治38年)5月 - 日本海海戦において戦艦三笠12in砲、戦艦敷島12in砲、戦艦朝日12in砲。装甲巡洋艦日進8in砲。なお、この時の日進には高野五十六(後の山本五十六)が少尉候補生として乗艦しており、左手の人差し指と中指を失っている。 以上のうち一部は、関係者への責任問題への発展を避けるために敵弾命中によるものと報告されたが、実際には敵弾の命中などの外圧によって砲身切断が起きることはあっても(そのまま無理に射撃しなければ)腔発が起こることは決してなく、砲身内部での早期爆発によってのみ起こる。 1920年(大正9年)9月12日 - シベリア出兵支援のための実弾射撃演習中において戦艦榛名14in砲1番砲塔右砲。 1944年(昭和19年)11月 - 駆逐艦沖波50口径三年式12.7センチ砲のうち2番、3番砲。連続対空射撃の結果とされる。 1945年(昭和20年)8月1日 - 日本海軍第343海軍航空隊の戦闘第301飛行隊長である菅野直大尉が搭乗した紫電改の20ミリ機銃、菅野機は未帰還となる。 2007年(平成19年)5月28日 - 韓国海軍の駆逐艦文武大王が鎮海沖で127mm砲の射撃訓練実施中。「何らかの理由で砲身内で爆発が起きたが、幸い人的被害はなかった」と発表されている。 2010年(平成22年)8月20日 - 陸上自衛隊の90式戦車が東富士演習場畑岡射場で富士総合火力演習に向けた射撃訓練中に発生し、破片が広範囲に飛び散る。原因は砲身内部に入った土によるものとされている が、それ以外にも複合的な要因があったのではという指摘もある。
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1990年5月、東京都板橋区の化学工場で爆発があり、死者8名、負傷者18名を出す惨事となった。実験室でも、金属さじによる取り扱いは避ける。
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オッパウ大爆発 1921年にドイツ・ルートヴィヒスハーフェン近郊のオッパウにあるBASF化学工場で、吸湿して固化した硝酸アンモニウムと硫酸アンモニウムの混合肥料を粉砕するためダイナマイトによる発破を掛けたところ、4,500トンあまりが爆発(TNT換算1 - 2kt)し、死者500 - 600人、負傷者2,000人以上の大惨事となった。現場には直径100メートルのすりばち状の穴ができたという。ただし爆轟に導くことは難しく、事実、この工場は設営時から事故時まで継続的にその方法をとっていたが、この事故まで問題は起こらなかった。 テキサスシティ大災害 1947年4月16日にはアメリカテキサス州のテキサスシティで、係留中の蒸気船グランドキャンプ号の火災から積荷の硝酸アンモニウム2300トンに引火・爆発(TNT換算1.1kt)して581人が死亡、1.6km以内の建物はすべて倒壊。この時は消火の放水によって硝酸アンモニウムの吸湿・劣化を恐れた関係者が初期消火を渋ったことで、被害を大きくする一因となったと言われている。 ベイルート爆発(2020年) 2020年8月4日、レバノンの首都、ベイルートの港湾地区の倉庫で爆轟を伴う爆発事故が発生(TNT換算1.1kt)。倉庫に6年前から保管されたままになっていた約2,750トンの硝酸アンモニウムが爆発の原因と見られている。爆発は二度にわたって発生し、二度目の爆発は、地中海を150マイル (240 km)隔てたキプロスでも観測された。 上記のほか、1995年に167人の死者を出したオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件においても、爆薬の原料として使用された。 場合によっては、水溶液も爆発する。1952年(昭和27年)12月22日に、愛知県名古屋市の化学工場で水溶液が爆発した。この事故について、日本では特に研究はなされなかったが、その後、アメリカ合衆国で研究された結果、スラリー爆薬が開発された。 タカタのエアバッグ不具合の問題では、エアバッグのガス発生剤に硝酸アンモニウムを使うことが焦点となった。現在、衝突時にエアバッグを膨らませるためのガス発生剤として硝酸アンモニウムを使っているのはタカタのみである。温度の変化によって結晶の形、密度が変わる転移という現象が危惧されるが、タカタは硝酸アンモニウムにほかの化学物質を添加し、「相安定化硝酸アンモニウム」とすることで安定させていると主張した。タカタのエアバッグは、多湿地域でインフレータの暴発が起こったことが問題視された。2015年11月3日、アメリカ合衆国運輸省は硝酸アンモニウムを使ったガス発生装置の生産、販売の停止を命じ、2018年末までに段階的に取りやめることで合意した。
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