事故以前の列車の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 23:25 UTC 版)
「キンティンスヒル鉄道事故」の記事における「事故以前の列車の動き」の解説
事故に至る一連の出来事を示したアニメーション 事故が起きたのは5月22日の朝であった。下りの待避線には、カーライル発の貨物列車が4時50分に到着した。この朝、下り夜行急行列車が遅れており、下り普通列車はキンティンスヒルで待避することになった。上り列車もこの信号場のある区間を2本通過することになっており、1本は空車の石炭車で編成された臨時貨物列車で、もう1本は臨時兵員輸送列車であった。 下り待避線は既に貨物列車が入っていたので、夜勤の信号扱い手だったミーキンは普通列車を上り本線に移すことにした。勤務交代時刻より遅れて6時30分頃に早番の信号扱い手ティンズリーが、この普通列車に乗車してやってきた。6時34分、上り待避線に石炭車の貨物列車が到着して停車したことを受けて、どちらかの信号扱い手(どちらであるかは事故後に確定できなかった)が上り側にあるカークパトリックの信号扱所に対して、列車が駅間から出たことを伝える電鈴を鳴らした。この後、信号扱いに2つの致命的な誤りが起きた。 待避中の貨物列車の車掌たちは信号扱所へ入っていき、当時進行中であった第一次世界大戦のことについて、信号扱い手のミーキンやティンズリーたちと話し始めた。普通列車が本線上に停車して3分以上が経過したため、規定55(英語版)に従って、普通列車の機関士は機関助士のジョージ・ハッチンソン (George Hutchinson) を信号扱所へ送った。ハッチンソンは6時46分に出たが、規定55で定められた通りの仕事をせずに戻ってきた。 6時38分に1本目の下り急行列車がカーライル方面から来て、キンティンスヒル信号場を通過していった。6時42分にカークパトリックの信号扱所から、上りの兵員輸送列車の出発要求がティンズリーに対して届いた。ティンズリーはただちにこの出発要求を承認し、さらに4分後にグレトナ・ジャンクションから2本目の下り急行列車の出発要求が来た。ティンズリーは、6時47分にカークパトリックから送られてきた、兵員輸送列車が駅間に進入したことを知らせる通知を受けて、さらにグレトナ・ジャンクションに対して兵員輸送列車の進入要求を出したが、この間、上り本線に普通列車が停車したままであることをすっかり忘れてしまっていた。グレトナ・ジャンクションに対する出発要求はすぐに承認されたため、ティンズリーは上りの場内信号機を「進行」に切り替えて、兵員輸送列車の進入を許可した。
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