主要選手
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アルムニ史上最高の選手はホルヘ・ブラウン(英語版)であり、1903年から1906年までと、1910年からクラブ解散までキャプテンを務めた。ホルヘの5人の兄弟、アルフレード、エリセオ、カルロス、フアン、エルネストもアルムニでプレーしており、また従兄弟のフアン・ドミンゴもプレーしていた。キーパーのホセ・ブルーカ・ラフォリアは1905年に加入して1907年までプレーした。フアン・マケックニー(1891-1894、1900-1904)も注目に値するキーパーであり、チームに興奮を与えた。キーパー以外には多くの卓越したフォワードが在籍し、彼らの多くはプリメーラ・ディビシオンの得点王に輝いた。アルフレードとエリセオのブラウン兄弟、カルロスとエルネストのレット兄弟、アーノルド・ワトソン・ハットンなどが挙げられる。 常に多くの選手がアルゼンチン代表に招集されてプレーした。4人のブラウン兄弟のうち4人は試合のたびに揃って招集され、1907年6月2日から7月14日にかけて行われたブラジル遠征には(従兄弟のフアン・ドミンゴも含めて)5人のブラウン姓の選手が参加した。1906年から1909年にかけてアルゼンチン代表はコパ・リプトンで4連覇を果たしたが、1906年は8人、1907年は7人、1908年は5人、1909年は7人のアルムニの選手が優勝チームの一員となった。また、コパ・ニュートンでも4連覇しており、1906年は7人、1907年は4人、1908年は7人、1909年は3人の選手が優勝に関わった。コパ・デ・オノール・グラン・プレミオ・デ・アルヘンティーナの1909年大会では7人、1911年大会では6人の選手が優勝メンバーとなった。
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主要選手
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「かっとばせ!キヨハラくんの登場人物」の記事における「主要選手」の解説
クドー(工藤公康) 西部の左のエース。先発四本柱の1人。しかし「左は二流だらけ」とモリ監督の評価は厳しい。キヨハラと仲が良い。しかし、ワタナベヒサノブとはライバル関係であり、開幕投手を賭けて毎年けんかしているが、キヨハラを加えた3人で行動を共にすることもしばしばなので、仲がいいのか悪いのかよくわからない関係。目立ちたがり屋で他の投手の出番を奪うことが多く、またチーム内ではキヨハラとの大ボケが一番多いキャラクターであり、ツッコミ役に回ることも多かった。カエル、アヒルに例えられている。本人は初期では嫌がる描写もあったが、途中からは自分からやるようになり、「ゲロゲーロ」と鳴く。本人いわく、光ゲンジのモロボシ(諸星和己)似。通称「クドちゃん」。キヨハラ、クワタを除けば、トップクラスに出番が多い。コミックス1巻の半ばまでは、顔にそばかすがあった。1度、ボケが過ぎて3軍に落とされたことがある。 背番号は47。 ヒガシオ(東尾修) ベテラン投手で作中前期のエース。頼れる皆の兄貴分。しかしクドーをライバル視したり、世代交代で台等する若手の存在をいつまでも認めないなど、冷酷非情で冷たい性格だが中身は器の小さい人間である。クワタほどでないが、よくデッドボールを投げる(実際の東尾も2017年現在、与死球歴代1位である)。1988年現役引退。引退後は解説者に就任。口が悪く、他球団の悪口を平気で言う(ロッデのアリトー監督には激怒され、叩きのめされた)。作中で「来年からオレが監督になる」とボケたことがあり、その5年後本当に西部の監督に就任した。1987年オフに実際の東尾が麻雀賭博問題から半年間の出場停止処分を受けたことが、3巻でネタにされていた(詳細は伏せられるも、モリ監督に「おめーは6月まで大人しくしてろって言ったろ!」と怒鳴られた)。 背番号は21。 イシゲ(石毛宏典) 内野手。チームリーダー。モリ監督が唯一真面目に話の出来る相手だが、結局はボケで頼れない。いつも笑った顔をしていて、怒る時も変わらない。鼻の穴がでかい、通称ハナの穴男。鼻息が荒く、鼻息で人を吸い寄せるor吹き飛ばす、球場の関係者食堂のエアコンが故障した際に除湿機代わりにされるなど、人間技を超えた力を持っている。東京ドームでのオールスターゲームでは、ただでさえ空気が薄いのに彼が大量に吸うため、先発の大洋・ニウラが呼吸困難に陥ったことがある。鼻でラーメンやうどんを食べることが出来る。打撃のセンスはかなりのもので、キヨハラが不振の時、彼の代わりに、アキヤマ・パークレオとともに「新クリーンナップトリオ」と呼ばれたほど。 キヨハラより先に1億円プレーヤーになっていた選手だが、それに関してかなりプライドが高く、まだ1億円に達していない頃のキヨハラがサードにコンバートされて自身がショートに戻された際、「自分より給料の安いヤツにポジションを取られるのはプライドが許さない」とモリ監督に詰め寄ったほど。 背番号は7。 アキヤマ(秋山幸二) 外野手。キヨハラとのAK砲を組む。俊足、長打とホームインでのバック転が売り。 作中では会話が少なく、いつも後ろでニコニコしている背景キャラとしての出番が多い。温厚だが、年俸がからんだ場合は人格が変わる。 嬉しさが高まるとチューしたくなる癖があり、時々大ボケをかますこともある。 1994年、かつて西部の管理部長を務めたタイエーのネモト監督(作中には登場しない)が仕掛けた世紀のトレードで移籍。「サヨナラ、アキヤマさん」という彼が主役のストーリーが最終回間際に描かれている。 もう一度キヨハラとアベックホームランを打つというアキヤマの願いをかなえるため、カイアンツと特別試合がおこなわれたが、クワタのせいでひどい目に遭ってしまった。以降はほとんど出番が無かったが、異種格闘ベースボールと最終回では、1コマずつながら、タイエーのユニフォーム姿で登場した。 背番号は一貫して1。 ワタナベヒサノブ(渡辺久信) 西部の右のエース。先発四本柱の1人。クドーのライバルだが、クドーよりモリ監督に信頼されている。通称「ナベちゃん」。鍋を使ったネタをたまに使う。キヨハラ、クドーの3人でよく行動を共にしていて、そんな時はキヨハラとともにボケに回ってクドーに突っ込まれることがある。モリ監督に「新人類トリオ」と勝手に名付けられている(実際は1986年の新語・流行語大賞ではこの3人が授賞式に出ている。作中では1番彼がまとも)。女性ファンに人気があるプレーボーイだったが、1991年以降は結婚と共に成績・人気がガタ落ちし、女性人気を後輩のシオザキに取って代わられてしまい、サヨナラ負けした際に往来の女性ファン達から野次られるわ、チームメイト達からは妬き入れられるわと後半では悲惨な扱いが多くなっていった。『ベロベロベースボール』では額が広くなって髪が薄くなった。 背番号は41。 ワタナベトミオ(渡辺智男) 1989年に台頭した西部の投手。カモノハシに似た顔。速球派だが、しゃべりが遅い。あまりボケはやらないが、11巻では着ぐるみを着てボケを披露。その他、キヨハラと一緒にボケたこともあるが、モリ監督に1億円プレーヤーである、ないの違いで理不尽な差別を受けた。その後、成績低迷のせいで12巻以降まったく登場しなくなった。『ベロベロベースボール』ではチームメイトから河童顔と言われている。1994年、アキヤマたちと共にタイエーへ移籍。7巻では、ワタナベト「シ」オと、名前を間違えて表記されている。 背番号は21(西部時代)→18(タイエー移籍後)。 シオザキ(潮崎哲也) 1990年ドラフト1位入団の若手投手で作中後半を代表するエース。決め球はシンカー。女性ファンから人気が高く、子供ぶっているが、キヨハラと1歳しか年齢が違わない。登場初期は普通だったが、途中から顔が小学生のようになり、ナルシストなぶりっ子キャラクターに変わっていった。モリ監督にも甘やかされている。その後実際に結婚するも女性ファン人気は衰えず。クドー、ワタナベヒサノブら先輩投手に妬まれて、いじめに遭うことが多い。新人王になったノモを妬んで藁人形で攻撃したり、キヨハラの一日妻としてウエディングドレス姿で女装をしたことがある。 背番号は16。 カトリ(鹿取義隆) 抑えとして活躍した元カイアンツの投手。オー監督に気に入られ、すぐ「ピッチャーカトリ!」と登板を命じられる。しかし酷使がたたって燃え尽きてしまい、1990年、トレードで西部に移籍。西部では復調し、大ボケで降板させられたクドーの尻ぬぐいなど、タフに仕事をこなした。いつも頭に蚊取り線香を乗せている。西部移籍後もオー監督にしつこくつきまとわれた。 初登場時と1987年の日本シリーズ以降とで顔が変わっている。 背番号は29(カイアンツ時代)→26(西部移籍後)。 マツヌマ兄やん(松沼博久) 西部の主力投手の1人だが地味で影が薄く、控えめな性格。1989年の開幕戦の開幕投手に指名された時は、自分でも信じられず、頬をつねったことがある。弟のマツヌママサユキ(松沼雅之)と2人、兄弟選手としてやっていることから兄やんと呼ばれている。1990年現役引退。弟のマサユキは、作中には1コマしか登場しない。 背番号は15。 モリヤマ(森山良二) 西部の投手。先発四本柱の1人。2年目の1988年に活躍。初登場時はキヨハラに「1年目に活躍していないから、2年目のジンクスの心配がいらない」とからかわれていた。その後3年目のジンクスと言うべきか、本当に鳴かず飛ばずに終わってしまった。1993年開幕前、トレードで横浜に移籍。 背番号は31(西部時代)→24(横浜移籍後)。 イトー(伊東勤) 不動の正捕手。出番は多いが、キャッチャーマスクのせいであまり素顔が見せられず、目立つことが出来ない。 彼の初長セリフは「オレはなあ、この漫画で1度も素顔を見せたことがないんだぞ!俺たちキャッチャーだって目立ちたいやい!」(真の初セリフはその前の「ナイスボール」である。) モリ監督に「キャッチャーは黙ってウンチスタイルをしてればいい」と言われてしまう、負傷で長期離脱した際にはモリ監督の「なんとかしてイトーの穴を埋めなければ」という言葉に反応したキヨハラに埋められる(「イトーを穴に埋めなければ」という聞き間違い)、クワタのイヤガラセにより車椅子(プラス押し役のキヨハラ)もろ共フェンスに激突してケガを悪化させられるなど、理不尽な扱いが多い。 背番号は27。 ヒラノ(平野謙) 1988年、中日よりオノとのトレードで入団。太い眉毛が特徴。送りバントと外野守備の名手。俊足のため盗塁も得意(中日時代の盗塁王)。 移籍元年、対中日戦ではよく、ホシノ監督(中日)から試合中にバットを振るな!と脅されていた。その中日時代は第2回のカイアンツ対中日戦に1カットだけ登場、カイアンツ対ライアンズの日本シリーズの回にホシノ監督を胴上げする部分にモブで出ていた。なお中日時代はすべて後ろ姿だけの登場で、顔と台詞が加わったのは西武に移籍した後からである。 西武移籍後は初登場時にホシノに脅されて三振させられ涙目でベンチに下がる、2回目登場時にはセーフティバントで出塁するかと思った瞬間に投球練習中のクワタの球を後頭部に喰らって気絶、その後もキヨハラが一塁ランナーのイシゲをクレーンで一気に三塁まで運ぼうとするのにノッた責任を取らされてモリ監督に宙吊りにされてしまったり、4コマではキヨハラとツジがはじいたマロドックの打球をさらにはじいてスタンドインさせたり、とあまり良い場面がない。 1993年解雇→ロッデに移籍。 背番号は3(中日)→24(西部)→8(ロッデ)。 ツジ(辻発彦) 内野手。名手であり、西部の「貝打線(下位打線と掛けた駄洒落)」を支えた職人(後半はトップバッターを務めた)。1987年の日本シリーズで泣き出したキヨハラを慰める場面がネタにされたが、普段は地味。キヨハラの出っ歯を伸ばす際に背中を蹴るのはほとんど彼の役割である。モブとしての出演はかなり多い。 背番号は5。コロコロアニキ2017年夏号に西武の監督として久々に登場。
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佐藤真之 - 士道館全日本空手道選手権準優勝の実績を持つ。ラウェイルールでの試合経験もある。拳真館主催興行では士魂村上塾所属のモハン・ドラゴンとグローブを付けずにバンデージだけを巻くルールで対戦し、パンチでKO勝利を収めたことがある。
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