中部太平洋戦線とは? わかりやすく解説

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中部太平洋戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 16:35 UTC 版)

エンタープライズ (CV-6)」の記事における「中部太平洋戦線」の解説

エンタープライズ本格的な修理改装が必要であった7月14日真珠湾出港して7月20日ワシントン州ブレマートンピュージェット・サウンド海軍造船所入港した。およそ1939年9月以来帰国だった。広範囲に渡る修理、及び改装が行われた。主な改装点は以下の通り船体の4分の3にわたる対魚雷防御用のバルジ増設 CIC設置 毎分3800リットル放水可能なディーゼル動力消火ポンプを2基設置 28mm機銃撤去と40mm機銃24門、20mm機銃6門増設 レーダー連動射撃管制装置導入し、5インチ砲、40mm機銃レーダー連動可能に ダメージコントロール中核をなす消火用水前後延長 弾薬庫への注水システム廃止、スプリンクラーシステムの導入 無電池式電話や、その回線増設 艦の重要施設空調システム改善拡張 新型カタパルト設置 アイスクリーム製造機新型へと更新 また、F4F代わりF6F配備された。 10月24日船体試験が行われ、10月31日ブレマートン出港した。この時、熟練した多く乗組員が他の艦へ移り代わりに訓練終えたばかりの新兵乗り込んでいた。乗組員全体の4割が新兵だったという。11月6日真珠湾入港した湾内には数多く新型艦艇溢れかえっており、エンタープライズは既に数ある空母の中の1隻になっていた。11月7日真珠湾出港続いて9日に第6航空群が着任した。第6航空群はかつて先代レキシントン活躍したエドワード・オヘア少佐によって率いられていた。11月19日から21日まで、ウェーキ島空襲加わった軽空母ベロー・ウッド10月太平洋回航されたモンテレーらとラドフォード少将指揮する第2群(第50任務部隊)を編成しギルバート諸島マキン上陸する海兵隊支援行いガルヴァニック作戦従事したギルバート・マーシャル諸島の戦い)。まず19日上陸前の砲爆撃が行われた。20日D-Dayとなり、マキン上陸が行われた。VT-6隊長フィリップス少佐機によって戦況逐一ペンシルベニア艦上ターナー提督伝えられた。作戦順調に行ったとは言い難く圧倒的兵力にも関わらず陸軍マキン島制圧手間取り結果海域長く留まらざるを得なかった海軍も、日本軍潜水艦によってリスカム・ベイ喪う損害受けた25日から日本軍機による夜間攻撃があり、26日同じく夜間攻撃受けた際には、エンタープライズ世界で初め艦載機によるレーダー使用して夜間迎撃成功させた(ギルバート諸島沖航空戦)。これは、レーダー装備したTBF1機がF6F2機を誘導して敵機攻撃仕掛けるというものだった計画通りには行かずF6FはぐれてしまったがTBFによって2機の撃墜報じられた。この冒険的な試みでF6F1機が行不明になった(友軍誤射敵機防御砲火による被撃墜等の説がある)。この行方不明になったのが第10航空指揮官であり、夜間航空作戦実施推し進めていたオヘア少佐だった。12月4日マーシャル諸島クェゼリン環礁)の基地打撃与えたマーシャル諸島沖航空戦)。エンタープライズは第50.3任務群として参加し南方クェゼリン島及びエビジェ島を攻撃したこの頃TBF魚雷信用不足によって実質的に急降下爆撃機として運用されていた。ただダイブフラップが装備されていないため、時速670kmまで達する事もあった。エビジェでは水上機を、クェゼリンでは艦船攻撃したエンタープライズ被害不時着機1のみだった。その日の夜も日本軍機の夜間攻撃受けたエンタープライズ以下の任務群は発砲せずに切り抜けた。だがレキシントン以下の50.1任務群は発砲しレキシントン被害受けた12月9日真珠湾帰港した12月24日に第10航空群が着任したエンタープライズ第58任務部隊高速空母機動部隊)へ第1群(第58.1任務群)の旗艦として加わり1944年1月29日から2月3日までマーシャル諸島上陸支援行った29日タロア島飛行場ヨークタウンベロー・ウッドと共に攻撃した翌日はクウェゼリンを攻撃2月4日までに目標でないマロエラップ環礁エニウェトク環礁除けばマーシャル諸島占領完了した作戦段取りよく行われたため、アメリカ軍予定になかったエニウェトク環礁占領も行うことを決めその事前準備として2月16日から日本軍一大拠点であったトラック島空襲行ったトラック諸島日本軍油断しきっており、攻撃奇襲になった16日攻撃は5隻の空母から発艦し、VF-10指揮官であるジョン・ケイン中佐機に率いられF6F72機によるファイタースイープから始まったエンタープライズ12機を発艦させ、空戦参加。また飛行場ロケット弾撃ち込んだエンタープライズは4機のF6F失った。この大規模な空戦飛行場攻撃アメリカ軍制空権をほぼ確保し続いて基地施設艦船対す攻撃始まったエンタープライズは4波の攻撃隊を送り込んだ第1波TBFによるエテン島への対地攻撃SBDによるデュブロン島停泊艦船対す攻撃第2波SBDによるデュブロンへの再攻撃第3波TBF及びSBDによるトラック環礁各地艦船への攻撃。第4波はSBD及び日本軍修復作業妨害のための1000ポンド爆弾遅延信管装備F6Fによるモエン島飛行場への爆撃だった。夜間日本軍機による夜襲第2群イントレピッド被雷損傷した。一方でアメリカ側新たな冒険的試み行おうとしていた。以前から空母による夜間航空攻撃実現熱意注いでいたのがVT-10指揮官ウィリアム・マーティン中佐であり、彼は熱望していた夜間航空攻撃を行う機会与えられた。但し彼は数日前に腕を骨折していたため、出撃強く望んだにも関わらずドクターストップにより出撃できなかった。攻撃はTBF12機に分乗し彼の部下により行われた艦載機による夜間攻撃タラント空襲をはじめ既に行われていたが、このエンタープライズ艦載機による夜間航空攻撃照明弾などを使用せずレーダーのみを用いて敵を見つけ暗闇中低空で接近投弾時の照準のみ夜間視力頼って行うものであり、この点で史上であった。この攻撃方法は敵の対空砲火影響少なく被害抑えられ命中率高められるという利点があった。攻撃成功したがTBF1機を失った17日は3波にわたりトラック諸島攻撃。この僅か2日間の米機動部隊攻撃で、米海軍においては長らく難攻不落要塞として信じられてきたトラック島所在する基地機能輸送船航空機破壊し日本海軍南太平洋中部太平洋への進出力を奪ったアメリカ海軍は「太平洋艦隊1941年12月7日日本艦隊による訪問トラック島答礼訪問をして、借り一部返した」と発表したその後TG任務群)-58.2及び58.3はマリアナ諸島空襲向かいエンタープライズはこれらの空母にF6F10機、SBD3機、TBF10機を譲り渡し、TG-58.1は2月20日ヤルート環礁攻撃エンタープライズは2波の攻撃隊を送り込んだエンタープライズでは、マリアナ向かった空母6隻は日本軍基地航空隊相手圧勝した一方で自分たちは“2軍”の仕事をしていることを不満に感じた2月28日マリアナ攻撃部隊合流マジュロ環礁経由して3月11日エスピリトゥ・サント島入港した3月15日第1群(第36任務部隊)に加わってビスマルク諸島エミラウ島上陸支援にあたり抵抗皆無だった)、第58任務部隊に再び参加して12日間に渡ってカロリン諸島西部ヤップウルシー、ウォレアイとパラオ諸島空襲した(パラオ大空襲)。3月29日の夜から日本軍夜間航空攻撃を受けはじめた翌日エンタープライズパラオに向け3波の攻撃隊を発艦させた。同日日本軍機の反撃で、エンタープライズ魚雷1本を船体中央被雷したが不発だった。翌日、TG-58.1はヤップ及びウルシー攻撃4月1日にはウォレアイを攻撃したその後マジュロ一週間補給休養の後、第58任務部隊エンタープライズはTG-58.3所属に)はニューギニア島北岸ホーランディア上陸支援向かった4月16日エンタープライズプリンストンへの衝突事故起こしそうになった4月21日からホーランディアへの攻撃開始22日陸軍の上陸が開始された。TF-58は4月24日日本軍夜間航空攻撃受けたこの頃には各空母レーダー装備したF4U少数搭載されており、攻撃撃退された。26日までにホーランディア主要地点陸軍制圧したため支援終了したその後TF-58は後退ついでにトラック島再攻撃向かった28日エンタープライズがTF-58旗艦レキシントン危うく衝突しそうになった一幕もあった。4月29日には再度トラック島空襲少数日本軍機が離陸していたが1機を除いて全く攻撃仕掛けてこなかった。その機は、VF-10のF6F相討ちになった4月30日にはトラックからの激し対空砲火エンタープライズ航空機多数撃墜されたがノースカロライナ水上機によって7名全員救助されその後潜水艦タング収容された。その日だけでタング22名もの搭乗員救助しており、任務部隊指揮するマーク・ミッチャー提督から感謝メッセージ送られた。5月4日マジュロ入港、約1ヶ月停泊した

※この「中部太平洋戦線」の解説は、「エンタープライズ (CV-6)」の解説の一部です。
「中部太平洋戦線」を含む「エンタープライズ (CV-6)」の記事については、「エンタープライズ (CV-6)」の概要を参照ください。

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