中部太平洋戦線
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「エンタープライズ (CV-6)」の記事における「中部太平洋戦線」の解説
エンタープライズは本格的な修理と改装が必要であった。7月14日に真珠湾を出港して7月20日、ワシントン州ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍造船所に入港した。およそ1939年9月以来の帰国だった。広範囲に渡る修理、及び改装が行われた。主な改装点は以下の通り。 船体の4分の3にわたる対魚雷防御用のバルジの増設 CICの設置 毎分3800リットル放水可能なディーゼル動力消火ポンプを2基設置 28mm機銃の撤去と40mm機銃24門、20mm機銃6門増設 レーダー連動の射撃管制装置を導入し、5インチ砲、40mm機銃はレーダー連動が可能に ダメージコントロールの中核をなす消火用水本菅を前後に延長 弾薬庫への注水システムの廃止、スプリンクラーシステムの導入 無電池式電話や、その回線の増設 艦の重要施設の空調システムの改善、拡張 新型のカタパルトを設置 アイスクリーム製造機を新型へと更新 また、F4Fに代わり、F6Fが配備された。 10月24日に船体の試験が行われ、10月31日にブレマートンを出港した。この時、熟練した多くの乗組員が他の艦へ移り、代わりに訓練を終えたばかりの新兵が乗り込んでいた。乗組員全体の4割が新兵だったという。11月6日に真珠湾に入港した。湾内には数多くの新型艦艇で溢れかえっており、エンタープライズは既に数ある空母の中の1隻になっていた。11月7日に真珠湾を出港、続いて9日に第6航空群が着任した。第6航空群はかつて先代レキシントンで活躍したエドワード・オヘア少佐によって率いられていた。11月19日から21日まで、ウェーキ島空襲に加わった軽空母ベロー・ウッドと10月に太平洋に回航されたモンテレーらとラドフォード少将指揮する第2群(第50任務部隊)を編成し、ギルバート諸島のマキンに上陸する海兵隊の支援を行い、ガルヴァニック作戦に従事した(ギルバート・マーシャル諸島の戦い)。まず19日に上陸前の砲爆撃が行われた。20日がD-Dayとなり、マキンへ上陸が行われた。VT-6隊長のフィリップス少佐機によって戦況は逐一ペンシルベニア艦上のターナー提督へ伝えられた。作戦は順調に行ったとは言い難く、圧倒的兵力差にも関わらず、陸軍はマキン島制圧に手間取り、結果海域に長く留まらざるを得なかった海軍も、日本軍潜水艦によってリスカム・ベイを喪う損害を受けた。25日から日本軍機による夜間攻撃があり、26日に同じく夜間攻撃を受けた際には、エンタープライズは世界で初めて艦載機によるレーダーを使用しての夜間迎撃を成功させた(ギルバート諸島沖航空戦)。これは、レーダーを装備したTBF1機がF6F2機を誘導して敵機に攻撃を仕掛けるというものだった。計画通りには行かず、F6FがはぐれてしまったがTBFによって2機の撃墜が報じられた。この冒険的な試みでF6F1機が行方不明になった(友軍誤射や敵機の防御砲火による被撃墜等の説がある)。この行方不明になったのが第10航空群指揮官であり、夜間航空作戦の実施を推し進めていたオヘア少佐だった。12月4日、マーシャル諸島のクェゼリン(環礁)の基地に打撃を与えた(マーシャル諸島沖航空戦)。エンタープライズは第50.3任務群として参加し、南方のクェゼリン島及びエビジェ島を攻撃した。この頃のTBFは魚雷の信用不足によって実質的には急降下爆撃機として運用されていた。ただダイブフラップが装備されていないため、時速670kmまで達する事もあった。エビジェでは水上機を、クェゼリンでは艦船を攻撃した。エンタープライズの被害は不時着機1のみだった。その日の夜も日本軍機の夜間攻撃を受けたがエンタープライズ以下の任務群は発砲せずに切り抜けた。だがレキシントン以下の50.1任務群は発砲しレキシントンは被害を受けた。12月9日に真珠湾へ帰港した。12月24日に第10航空群が着任した。エンタープライズは第58任務部隊(高速空母機動部隊)へ第1群(第58.1任務群)の旗艦として加わり1944年1月29日から2月3日までマーシャル諸島上陸支援を行った。29日はタロア島の飛行場をヨークタウン、ベロー・ウッドと共に攻撃した。翌日はクウェゼリンを攻撃。2月4日までに目標でないマロエラップ環礁やエニウェトク環礁を除けばマーシャル諸島の占領を完了した。作戦が段取りよく行われたため、アメリカ軍は予定になかったエニウェトク環礁の占領も行うことを決め、その事前準備として2月16日から日本軍の一大拠点であったトラック島空襲を行った。トラック諸島の日本軍は油断しきっており、攻撃は奇襲になった。16日の攻撃は5隻の空母から発艦し、VF-10指揮官であるジョン・ケイン中佐機に率いられたF6F計72機によるファイタースイープから始まった。エンタープライズは12機を発艦させ、空戦に参加。また飛行場へロケット弾を撃ち込んだ。エンタープライズは4機のF6Fを失った。この大規模な空戦、飛行場攻撃でアメリカ軍は制空権をほぼ確保し、続いて基地施設や艦船に対する攻撃が始まった。エンタープライズは4波の攻撃隊を送り込んだ。第1波はTBFによるエテン島への対地攻撃、SBDによるデュブロン島停泊艦船に対する攻撃。第2波SBDによるデュブロンへの再攻撃。第3波はTBF及びSBDによるトラック環礁各地の艦船への攻撃。第4波はSBD及び日本軍の修復作業妨害のための1000ポンド爆弾(遅延信管)装備のF6Fによるモエン島飛行場への爆撃だった。夜間に日本軍機による夜襲で第2群のイントレピッドが被雷損傷した。一方でアメリカ側も新たな冒険的試みを行おうとしていた。以前から空母による夜間航空攻撃の実現に熱意を注いでいたのがVT-10指揮官のウィリアム・マーティン中佐であり、彼は熱望していた夜間航空攻撃を行う機会を与えられた。但し彼は数日前に腕を骨折していたため、出撃を強く望んだにも関わらずドクターストップにより出撃できなかった。攻撃はTBF12機に分乗した彼の部下により行われた。艦載機による夜間攻撃はタラント空襲をはじめ既に行われていたが、このエンタープライズ艦載機による夜間航空攻撃は照明弾などを使用せず、レーダーのみを用いて敵を見つけ暗闇の中低空で接近、投弾時の照準のみ夜間視力に頼って行うものであり、この点で史上初であった。この攻撃方法は敵の対空砲火の影響が少なく被害を抑えられ、命中率も高められるという利点があった。攻撃は成功したがTBF1機を失った。17日は3波にわたりトラック諸島を攻撃。この僅か2日間の米機動部隊の攻撃で、米海軍においては長らく難攻不落の要塞として信じられてきたトラック島に所在する基地機能と輸送船、航空機を破壊し、日本海軍の南太平洋、中部太平洋への進出力を奪った。アメリカ海軍は「太平洋艦隊は1941年12月7日の日本艦隊による訪問にトラック島で答礼の訪問をして、借りを一部返した」と発表した。 その後、TG(任務群)-58.2及び58.3はマリアナ諸島空襲へ向かいエンタープライズはこれらの空母にF6F10機、SBD3機、TBF10機を譲り渡し、TG-58.1は2月20日にヤルート環礁を攻撃、エンタープライズは2波の攻撃隊を送り込んだ。エンタープライズでは、マリアナへ向かった空母6隻は日本軍基地航空隊相手に圧勝した一方で自分たちは“2軍”の仕事をしていることを不満に感じた。2月28日にマリアナ攻撃部隊と合流。マジュロ環礁を経由して3月11日エスピリトゥ・サント島に入港した。3月15日、第1群(第36任務部隊)に加わってビスマルク諸島のエミラウ島上陸支援にあたり(抵抗は皆無だった)、第58任務部隊に再び参加して12日間に渡ってカロリン諸島西部のヤップ、ウルシー、ウォレアイとパラオ諸島を空襲した(パラオ大空襲)。3月29日の夜から日本軍の夜間航空攻撃を受けはじめた。翌日にエンタープライズはパラオに向け3波の攻撃隊を発艦させた。同日に日本軍機の反撃で、エンタープライズは魚雷1本を船体中央に被雷したが不発だった。翌日、TG-58.1はヤップ及びウルシーを攻撃。4月1日にはウォレアイを攻撃した。その後はマジュロで一週間の補給と休養の後、第58任務部隊(エンタープライズはTG-58.3所属に)はニューギニア島北岸のホーランディア上陸を支援に向かった。4月16日にエンタープライズはプリンストンへの衝突事故を起こしそうになった。4月21日からホーランディアへの攻撃を開始。22日に陸軍の上陸が開始された。TF-58は4月24日に日本軍の夜間航空攻撃を受けたがこの頃には各空母にレーダーを装備したF4Uが少数搭載されており、攻撃は撃退された。26日までにホーランディアの主要地点を陸軍が制圧したため支援を終了した。その後TF-58は後退ついでにトラック島を再攻撃に向かったが28日にエンタープライズがTF-58旗艦レキシントンに危うく衝突しそうになった一幕もあった。4月29日には再度トラック島を空襲。少数の日本軍機が離陸していたが1機を除いて全く攻撃を仕掛けてこなかった。その機は、VF-10のF6Fと相討ちになった。4月30日にはトラックからの激しい対空砲火でエンタープライズの航空機が多数撃墜されたがノースカロライナの水上機によって7名全員が救助され、その後潜水艦タングに収容された。その日だけでタングは22名もの搭乗員を救助しており、任務部隊を指揮するマーク・ミッチャー提督から感謝のメッセージが送られた。5月4日にマジュロに入港、約1ヶ月間停泊した。
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