第二次世界大戦・太平洋とは? わかりやすく解説

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第二次世界大戦・太平洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/24 17:24 UTC 版)

ロバート・C・ギッフェン」の記事における「第二次世界大戦・太平洋」の解説

1943年1月4日、ギッフェンは第6巡洋艦部隊司令官と第18任務部隊司令官兼ねる。最末期ガダルカナル島の戦い参加しガダルカナル島行き船団の間接護衛当たっていたが、1月29日夕刻からレンネル島近海檜貝嚢治少佐率い第七〇一航空隊第七〇五航空隊陸上攻撃機隊の波状攻撃を受ける(レンネル島沖海戦)。命中弾を受けた1機の一式陸上攻撃機が「シカゴ」 (USS Chicago, CA-29) に体当たりして「シカゴ」の艦上炎上し、これを目標にして突撃した一式陸攻が「シカゴ」に魚雷を2本命中させた。ギッフェンは任務部隊避退命じ、「ルイビル」 (USS Louisville, CA-28) に「シカゴ」の曳航命じたものの、任務部隊は翌30日第七五一航空隊陸攻隊につかまり、「シカゴ」に4本の魚雷命中してついに沈没した。ギッフェンが日本軍機と対決するのはこれが初めてであり、真偽のほどはともかく日本機の実力甘く見ていた節があった。 ガダルカナル島から日本軍消え失せると、ギッフェンは休息ののち「ウィチタ」以下諸艦艇率いてアリューシャン方面の戦い参戦する次いで中部太平洋戦線転じマキンの戦いクェゼリンの戦い火力支援担当する1944年2月スプルーアンス第5艦隊エニウェトクの戦いと、その支援のためのトラック島空襲企図する。ここでスプルーアンスは、トラック諸島内にいまだ有力艦船多数残っていると考え空襲後には外に出てくるだろうと推測した。どうしても先頭切って戦いたかったスプルーアンスは、脱出してきた有力艦船との砲戦念頭に戦艦ニュージャージー」 (USS New Jersey, BB-62) を第5艦隊旗艦据えた。ギッフェンはこの当時、「ウィチタ」から「ミネアポリス」 (USS Minneapolis, CA-36) を自分旗艦指定しトラック島空襲参加する2月17日午前空襲引き続いて午後からは艦艇による掃討戦開始され間もなく環礁にあった軽巡洋艦香取」、駆逐艦舞風」および「野分」を発見するが、砲撃戦指揮スプルーアンス自らが指揮した幕僚スプルーアンス陣頭指揮驚き、ギッフェンに委任するよう何度も進言するもなかなか聞き入れられず、進言重ねた末にスプルーアンスはギッフェンに対して香取」を始末するよう命令下し、自らは「舞風」と「野分」を攻撃することとした。やがて「野分」は遁走し、「香取」と「舞風」は集中砲火浴びて沈没していった。

※この「第二次世界大戦・太平洋」の解説は、「ロバート・C・ギッフェン」の解説の一部です。
「第二次世界大戦・太平洋」を含む「ロバート・C・ギッフェン」の記事については、「ロバート・C・ギッフェン」の概要を参照ください。

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