第二次世界大戦の終結と戦後処理とは? わかりやすく解説

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第二次世界大戦の終結と戦後処理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 15:25 UTC 版)

連合軍軍政期 (朝鮮史)」の記事における「第二次世界大戦の終結と戦後処理」の解説

朝鮮1910年から朝鮮総督府統治する日本領朝鮮となる一方一部朝鮮人朝鮮独立運動行っていた。これに対し当時国際社会日韓併合条約による韓国併合承認する一方一部国々独立運動団体関係者への支援取り込み工作行っていた。その為、1941年大日本帝国第二次世界大戦太平洋戦域)へ参戦する時点で、中華民国国民政府)は大韓民国臨時政府光復軍財政人的に後援しソビエト連邦は元東北抗日聯軍朝鮮人将兵取り込んで日本との戦闘想定した民族旅団編成していた。 大戦戦局連合国側優勢となった1943年連合国米・英中華首脳対日方針協議するためにエジプトカイロカイロ会談開き会談後に発表したカイロ宣言で「朝鮮人民奴隷状態ニ留意シ軈(やが)テ自由且独立ノモノタラシムル」ことを宣言した1945年2月ヤルタ会談米・英ソ連首脳ソ連対日参戦に関する極東密約ヤルタ協定)を締結しその中で戦後朝鮮当面の間連合国四ヶ国(米・英・ソ)による信託統治下に置くことを取り決めた。その概要京城府を除く中部西側および南東部アメリカ済州島を含む南西部イギリス北西部中華民国鬱陵島を含む中部東側北東部ソ連それぞれ分割統治し、京城府アメリカソ連共同統治するというものであった1945年8月9日ヤルタ協定基づいてソ連対日参戦行い満洲国及び朝鮮咸鏡北道侵攻開始する8月14日日本政府ポツダム宣言受諾し降伏する旨を連合国側通告するが、ソ連侵攻9月2日日本正式に降伏するまで続き満州(現中国東北部)・南樺太千島列島及び朝鮮半島北緯38度線以北北朝鮮)を占領する至った8月13日アメリカの駐モスクワ特使ポーリ(Pauley)と駐ソ大使ハリマンは、ソ連朝鮮半島野心持っていることを理由に、朝鮮及び満州速やかな占領トルーマン大統領建議した。しかし、8月14日日本政府からポツダム宣言受諾通告受けた時点で、既にソ連満州朝鮮北部進駐開始しており、主力フィリピンにあるアメリカ軍を両地域即時投入することは非現実的との理由から、この提案黙殺された。ただし、朝鮮半島うやむやのうちにソ連占領されるのを防ぐため、国務・陸軍・海軍調整委員会ディーン・ラスクチャールズ・H・ボーンスティール3世は「北緯38度線米ソ占領地域を分割する」という案を策定し8月14日トルーマン大統領の承認受けた。この案はソ連提示され8月16日同意返答受けた8月17日には一般命令第一号によって『38度線以北日本軍朝鮮軍)は赤軍ソ連軍)に、以南アメリカ軍降伏する』ことが決定された。この命令ポツダム宣言受諾した日本伝達され9月2日降伏文書調印後に大本営によってこの方針が指令された。アメリカ軍8月25日から朝鮮半島北緯38度線以南南朝鮮)への進駐開始し9月9日京城府朝鮮総督府から降伏文書署名受けた

※この「第二次世界大戦の終結と戦後処理」の解説は、「連合軍軍政期 (朝鮮史)」の解説の一部です。
「第二次世界大戦の終結と戦後処理」を含む「連合軍軍政期 (朝鮮史)」の記事については、「連合軍軍政期 (朝鮮史)」の概要を参照ください。

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