第二次世界大戦の終戦と薩摩松元駅の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 08:36 UTC 版)
「松元町」の記事における「第二次世界大戦の終戦と薩摩松元駅の設置」の解説
1949年(昭和24年)12月15日に上伊集院村唯一の鉄道駅である饅頭石駅が、同年1月の議会での議決による村の請願により、上伊集院駅に改称された。 上谷口の松元付近は旧来から村役場が存在しており中心地であったが、第二次世界大戦の終戦後には新制中学校として上伊集院中学校が設置された他に、商店、病院、衣料品店などが設置され、村の経済の中心地にもなった。1949年(昭和24年)より上伊集院村は村の中心部である上谷口字松元に駅設置する請願を日本国有鉄道に行うが、計画地が傾斜地に位置していることから許可が得られなかったが、度重なる請願により駅の設置が許可された。請願駅であることから、村及び村民の寄付により駅の設置費用を全額負担し、さらに村民による奉仕作業が行われ、1954年(昭和29年)には薩摩松元駅が上伊集院村の中心部に設置された。 1965年(昭和40年)には松元駅前郵便局が開局したほか、南国交通及び鹿児島交通のバス路線が松元を経由することになった。
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