第二次世界大戦の時期の運行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/10 16:02 UTC 版)
「ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート」の記事における「第二次世界大戦の時期の運行」の解説
第二次世界大戦では、アラスカ州がアメリカ合衆国にとって戦略的に重要な場所となった。アラスカ州はアメリカ合衆国でもっとも日本に近い場所であったので、日本が侵略してくるかもしれないという懸念があった。アメリカ陸軍がこの鉄道の管理を行うようになり、新しく製造したり、アメリカ合衆国内の廃止された狭軌の鉄道路線から中古で購入したりした多くの蒸気機関車が運び込まれた。 第二次世界大戦中にアラスカとカナダを結ぶ道路(アラスカ・ハイウェイ)を建設する上で、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートが果たした役割について言及しているほとんどすべての本や記事で、2つの神話について言及されている。この神話は、アメリカ陸軍が1943年に持ち込んだ、11両の新しい車軸配置2-8-2のマッカーサー型(ミカド型)の蒸気機関車に関するものである。神話として語られているものの1つは、もともと1,000 mm(3 フィート3 3⁄8 インチ)軌間用であった機関車を、スカグウェイの工場で914 mm(3 フィート)に改造する工事をしたということであり、もう1つはこれらの機関車はもともとイラン向けに製造されたものが転用されたということである。 実際にはこれらのUSA190号からUSA200号と番号が振られた機関車は、ボールドウィン・ロコモティブ・ワークスにより3フィート軌間で製造され、完成した状態で出荷されており、改造工事は必要ではなかった。このマッカーサー型機関車はもともとアメリカン・ロコモティブ(アルコ)により3フィート6インチ (1,067 mm) 軌間向けに設計されたもので、同じ車軸の長さで台枠と車輪の間のスペーサーのリングを様々な幅のものに取り替えることで、より小さい軌間に対しても巧妙に対応することができるようになっていた。このスペーサーは914 mm軌間に対しては3 インチ (76.2 mm)で、1,000 mm軌間に対しては1.32 インチ (33.5 mm) であった。合計で800両近いマッカーサー型がアルコ、ボールドウィン他何社かのメーカーによって生産された。 これらの機関車が、しばしばホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートに関する本に誤って記されているように、当初イラン向けであったということはないという理由は、イラン縦貫鉄道は昔から現在まで一貫して1,435 mm軌間(標準軌)であるということである。また、水が不足しており長いトンネルがあるため、イランはアメリカ陸軍が主にディーゼル機関車を運用した最初の場所であるという点もある。アメリカ陸軍輸送科の狭軌機関車がイラン向けに製造されたことはない。 ボールドウィンが製造したこのマッカーサー型の設計の最初の機関車が、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート向けのUSA190号からUSA200号であり、これにより独特な点がある。この1942年にボールドウィンに対して発注された最初の60両は、1,000 mm軌間(メーターゲージ)向けの機関車で、インドの広大なメーターゲージ鉄道網向けのものであった。このうち最初の11両が914 mm軌間用としてホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート向けに転用され、その次の15両がインドにメーターゲージとして送られ、さらに20両がオーストラリアのクイーンズランド鉄道に1,067 mm軌間用として送られ、最後の14両がまたインドのメーターゲージ向けとなった。 ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートは、アラスカ・ハイウェイなどのプロジェクト向けの建設物資輸送のために重要な補給ルートとなったため、記録的な輸送量となった。毎日17本の列車が運転され、最高記録では24時間に37本の列車がホワイトホースに到着している。
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