第二次世界大戦:大アルバニアの一部
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「コソボの歴史」の記事における「第二次世界大戦:大アルバニアの一部」の解説
第二次世界大戦中の1941年、ユーゴスラビアはイタリアやドイツなどの枢軸国によって侵攻された。コソボの大部分は、イタリアの保護領となっていたアルバニア王国へと編入され、1943年までこの大アルバニアの一部であった。 枢軸国の侵攻によって、コソボの大部分はセルビアから切り離され、イタリア支配下のアルバニアの一部となった。東部の一部地方はブルガリア、あるいはナチス・ドイツの傀儡政権によるセルビアの領土とされた。イタリアはアルバニアの支配権を握っており、アルバニアはブヤン会議によってコソボを自国の一部と定め、域内のセルビア人やモンテネグロ人の追放に着手した。 1943年9月にイタリア王国が降伏すると、ドイツはこの地域の支配権獲得に乗り出した。コソボは1944年の夏にユーゴスラビア・パルチザンによって解放され、ユーゴスラビア民主連邦のセルビア人民共和国の州となった。パルチザンに加わればコソボのアルバニア人の自決権を認めると約束されていたアルバニア人らは、コソボをユーゴスラビア、セルビアの一部としたことに抗議して反乱を起こした。シャバン・ポルザ(Shaban Polluza)に率いられたおよそ2万人のアルバニア人の反乱は、鎮圧されるまでに6箇月を要した
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