中部工業大学設立
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中部工業大学は1966年11月19日に開校式を迎えた。文部大臣代理の佐藤知雄名工大学長、桑原幹根愛知県知事、村岡嘉六日本生産性本部中部地方本部長、そして眞嶋正市名古屋第一工学校初代校長 (東大名誉教授)ら、官公庁、産業界、地元代表、大学関係者約千人の臨席を得て、盛大、厳粛に行われた。大学ではこの日を記念して11月19日を開学記念日と定めた。開学時の設置学科は機械工学科(定員60名)、電気工学科(60名)、土木工学科(40名)、建築学科(40名)の四学科であった。その後の工業界の発展、科学技術の進歩は中部工業大学への期待を大きくした。その期待から新学科の設置、既存学科の入学定員を増やすことになった。新たに生産機械工学科、電子工学科、工業化学科、工業物理学科を設置し、既設の四学科の一学年の入学定員はそれぞれ80人、新規四学科は60人とした。しかし大学の将来を考えた際に、量より質への転換が必要になり入学者はそのままにし入学定員を増やすことで水増し入学を防いだ。教員を増員し施設設備を充実させ入学定員を増やしたが、科学技術の進歩と輸出増加によって、需要は増え続け56年4月には工学部八学科全体で入学定員は1000人の大台に乗った。。
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