超越
「超越」とは、普通に考えられる程度のことからはるかに超えていることを意味する表現。
「超越」の基本的な意味
「超越」とは、ある限界や枠、あるいは普通に考えられる程度のことや常識とされることからはるかに超え、ずば抜けているということを意味する。また、物事からかけ離れた境地にあり、問題にしないことを指す。順序を飛び越えて高い地位につくことも「超越」という。「超越」の語源・由来
「超越」の「超」には、ある一定の数量や基準、限度などを上回るという意味がある。一方、「越」は、場所や時間、点などを通過する、移るなどを意味する。どちらも一定の基準を「超える」「越える」という意味を持ち、「抜きんでる」という意味合いがある。つまり、「超越」は「超」と「越」という同じような意味の漢字で構成され、「ずば抜けている」ということを強調している。「超越」の類語
「超越」の類語には、平凡であることから飛びぬけているさまを表し普通より優れていることを意味する「超凡」、平凡でなく特に普通より優れていることを指す「非凡」などがある。また、多くの中で特に優れている様子を表現する言葉として「屈指」「指折り」「傑出」「突出」「有数」、範囲や規模が基準より大きいという意味で「上回る」「超過」「凌ぐ」「勝る」「超過」、目覚ましい働きとして「秀でる」「際立つ」「並はずれ」、標準よりも良かったり優れていたりする意味で「超絶」「凌駕」「優秀」なども「超越」の類語といえる。
「超越」を含む熟語・言い回し
超越的な人とは
限界や制限、不完全さ、理解や自然などからはるかに抜きんでている人のことを指す。
超越数とは
代数方程式の解ではない複素数のこと。超越数には円周率πや自然対数の底eなどがある。
超越者とは
至高経験が多い自己実現者のことや常識や理解の境界を越えた人のこと。神学的な概念においては、有限な偶然的存在を超えた必然的な存在者である「神」を「超越者」と呼ぶ。転じて、信仰によって世俗的な生活を脱した人、実存主義においては人間の無自覚な惰性的存在を脱し決断と選択の絶対的な自由を持つ主体的実存へ飛躍した人を意味する。
「超越(哲学)」とは
哲学(形而上学)で用いられる「超越」の概念は、対象が人間の意識や経験の範囲から外に出ていること、別の高い次元にあることを表す。例えば「神」のような存在。対義語は「内在」で、内在の概念では神は世界の中に存在する。カント哲学においては、あらゆる可能的経験や意識を超えたところについての認識を「超越」という。カントは、経験的な認識ではなく、物事の認識を可能にする条件についての考え方を「超越論的」とした。対象に直接関わらずに、それらを超えた見地から意識を考察するあり方という意味で「先験的」とも訳される。「超越」を含むその他の用語の解説
超越したところへ(映画)とは
「もっと超越した所へ。」は、2022年10月に公開された、山岸聖太が監督、根本宗子が原作・脚本の映画である。主題歌はaikoによる「果てしない二人」。2015年に上演され「映像化不可能」と言われた戯曲を映画化したもので、4組のカップルに訪れた別れの危機から予想不可能な物語が繰り広げられる恋愛群像劇。主演は前田敦子。菊池風磨、伊藤万理華、趣里、千葉雄太、ロックバンド「OKAMOTO’S」のオカモトレイジらが共演している。
「超越」の使い方・例文
・彼女の行動は、常識を超越している。・人間の能力を超越するAI技術の発展は、これからも注目していきたい。
・彼のDIYの技術とセンスは、プロの職人のスキルをも超越した素晴らしいものだ。
・あの絵画は、時代を超越した美しさと趣がある。
・従来の理解を超越する回答を得た。
・宇宙には人間の常識や知識を超越した世界があると思う。
・世俗の価値観を超越することは凡人には難しい。
「超越」の英訳
「超越」は英語表記の名詞では「transcendency」、超越するという動詞では「transcend」と訳される。また、大きさなどが標準を上回ることを「exceed」という。ちょう‐えつ〔テウヱツ〕【超越】
読み方:ちょうえつ
[名](スル)
1 普通に考えられる程度をはるかにこえていること。ずばぬけていること。「人間の能力を—した技術」
2 ある限界や枠をはるかにこえていること。また、その物事からかけ離れた境地にあって、問題にしないこと。「時代を—した作品」「世俗を—する」
3 《(ドイツ)Transzendenz》哲学で、
㋑カント哲学では、あらゆる可能的経験をこえた、超感性的なものについての認識を超越的といい、超越論的(先験的)と区別した。超絶。
㋒現象学では、意識内在に対し、自然的態度に付着する意識超越をいう。
ちょう‐おつ〔テウヲツ〕【超▽越】
ちょうえつ 【超越】
超越
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 03:42 UTC 版)
超越(ちょうえつ、英: transcendence)とは、普通の程度を遥かに越えること、または、ある物が別の高い次元にあることを表す語彙・概念である。ここでは後者、とりわけ西洋の神学や哲学(形而上学)における、特殊な用法としての「超越」について解説する。
概要
下述するように、「超越」概念は、(人間自身も含む)感覚可能で流動的な「物理現象界」との対比で、「その物理現象・物理法則に囚われない(超越した)存在」を想定・表現・形容する際に持ち出される概念である。
したがって、「超越」概念は、常に対照的な「物理現象界」の何か(もしくは全体)との対比によって語られる。(そして、その「物理現象界」の何か(もしくは全体)を表現する用語・概念が「内在」であり、「超越」の対義語となっている。)
また、その「超越」的な存在は、素朴に「神/神々」とされることもあれば、非人格的な「抽象的存在」が想定されることもあり、論者によって異なる。ただし、いずれの場合も、「世界の根源性・原因性・存在性」と結びつけられて論じられることが、ほとんどである。
また、「超越」の名にふさわしいように、「物理現象界に属する我々人間には、それは捉えきれない、語り得ない」と処理・表現されることも多い。
(しかし、ただそれだけだと、ただの不可知論や懐疑論に陥ってしまい、人間がそうした「根源的・超越的存在」とつながったり探求したりする術や意欲を失って堕落してしまいかねないので、実際の宗教や哲学においては、「秘儀・神がかり」(古代ギリシアなど)や「信仰・祈り」(キリスト教など)や「瞑想」(仏教など)や「問答法・弁証術」(プラトン)といった「特殊な手段」を持ち出して、「根源的・超越的存在」とつながれるという話にしたり、プラトンの「魂論」やウパニシャッド哲学の「アートマン・梵我一如思想」や大乗仏教の「仏性・如来蔵思想」に代表されるように、「我々人間の魂の中には、「根源的・超越的存在」とつながった何か(ヌース・ロゴス(知性・理性)、アートマン(真我)、仏性・如来蔵)が分け与えられて内在しており、それを探求・強化することで、「根源的・超越的存在」に到達することができる」といった「分配論」を持ち出して、実践の糧とすることが多い。
したがって、後者の場合などは、パルメニデスや初期仏教に見られるような、「超越(真実在)」と「内在(現象)」を峻別する厳密な「超越論」ではなくなり、「超越論」と「内在論(汎神論)」の折衷論・統合論(「超越かつ内在」)になっている。)
歴史
古代
古代ギリシアにおいては、「超越」のような発想は、元々は「死すべき無知な人間・動物」と「不死で全知全能な神々・神霊」という対比において、「神々・神霊」の「不死・全知全能」ぶりを形容・強調するための素朴なものだった。
哲学において、「超越」の概念を最初に明確に打ち出したのは、パルメニデスである。彼はヘラクレイトスが打ち出した「万物流転」(全ては流動的・現象的)というテーゼに対抗して、世界の存在性・恒常性を担保する「本質存在」(ト・エオン)の概念を論理的に提唱した。
このパルメニデスの思想に影響を受けたプラトンは、その根源的な「本質存在」(ト・エオン)を、「善のイデア」や、その神格化である「創造主デミウルゴス」に置き換えつつ、それと「物理現象界」の中間に、(ピタゴラス派的な数学的抽象概念 (の実体視) で補強した、物理的・倫理的抽象概念 (の実体視) としての)多様な「イデア」から成る「イデア界」を想定・提唱した。
他方でアリストテレスは、自然学的な性格が強いため、「デミウルゴス」の代替概念である「不動の動者」を除き、諸存在は「形相」と「質料」の結合体であると見做し、超越については積極的に語らない。
中世
中世においては、上記したギリシア哲学(特に、プロティノスやプロクロスに代表される新プラトン主義)の思想がキリスト教に吸収されてキリスト教神学が形成され、その「超越」(的な神)概念も継承された。
例えば、神が現実世界の外にあるとか、対象が人間の意識とは独立に存在するという考え方である。対義語は「内在」(immanence)。
スコラ哲学においてはアリストテレスの10範疇の内に包摂されない存在の属性の事を指した。
近代
カントは、上記したプラトンの思想を、人間の認識構造(特に理性)の側から組み立て直すことを考えた(コペルニクス的転回)。そして、可能的経験を超えるもの、すなわち感性的な直感の対象となり得ないもの(「感性-悟性-理論理性」の対象となる「物理現象界」を超えた、「実践理性」の対象としてしか扱えないもの)を「超越」と考えた。カントはそれを、プラトンの「イデア」を意識しつつ、「物自体」「ヌーメノン」等と呼んだ。
ヤスパースは現存在から実存に飛躍することをさし、哲学は超越することに他ならないとした。
関連項目
参考資料
- 哲学事典(平凡社、ISBN 978-4-582-10001-3)
脚注
超越(ストライド)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:15 UTC 版)
「カードファイト!! ヴァンガード」の記事における「超越(ストライド)」の解説
GゾーンからGユニットをヴァンガードサークルに置き、元々置かれていたカードをハーツ化する行為。そのなかでも超越スキルに記載された方法に従って行うものは「ノーマル超越」と呼称され、ストライドステップ中に1度だけ行える。2018年以降は、ギアクロニクルの指定カードに限り、Gゾーンの代わりに山札からスペリオルライドする形になりターン終わりにGゾーンではなくドロップゾーンに置かれレスト状態で再ライドする形となった(なお、事実上再ライドに近いためイマジナリーギフトは獲得可能)。
※この「超越(ストライド)」の解説は、「カードファイト!! ヴァンガード」の解説の一部です。
「超越(ストライド)」を含む「カードファイト!! ヴァンガード」の記事については、「カードファイト!! ヴァンガード」の概要を参照ください。
超越
「超越」の例文・使い方・用例・文例
- 自己超越とは以前の自身を超えていくことである。
- 時代を超越してきれいな女優
- そしてあなたの回答は私の理解を超越しています。
- そしてあなたの回答は難しすぎて、私の理解を超越しています。
- 彼は凡俗を超越している。
- 彼女は利己心を超越している.
- 彼の心は物質的快楽を超越している.
- 彼はこんなつまらないこと一切を超越した.
- その問題は各党の政治路線を超越するものであった.
- あの人はなかなか超越している.
- 霊的領域にある精神的に超越した魂−ルイス・マンフォード
- 超越した力で打ち勝つ
- 人間の経験または理解の通常の範囲外で、またはそれを超越して、
- 考えを超越した並外れた現実の概念
- 地球上の行動への超越した動機を見つける‐オールダス・ハックスリ
- 世俗を超越した、洞察をなんでも私たちは持つ?ウイリアム・ジェームス
- 疑問、議論、疑念を超越している性質
- 芸術的な価値の普遍的な基準や時間を超越した基準があると推定する伝統的な美学
- 幸福や不幸あるいは物事のなりゆきを支配する超越的な力
- 悩みなどを超越した境地
超越と同じ種類の言葉
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