徳川家とは? わかりやすく解説

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徳川氏

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 04:30 UTC 版)

徳川氏(とくがわし/とくがわうじ、旧字体德川氏)は、武家華族だった日本氏族永禄9年(1566年)に松平氏当主松平家康が改姓したのに始まる[2]江戸時代には幕府将軍を世襲した徳川将軍家、およびその限られた親族(御三家御三卿など)の家名となった[3]維新後には徳川氏からは12家が華族に列した(公爵家 3家、侯爵家 2家、伯爵家 2家、子爵家 1家、男爵家 4家)[4]


注釈

  1. ^ 家康嫡男の信康については、家康が信康の元服以前の永禄9年(1566年)に既に徳川に改姓しているため、生前は徳川 信康と名乗っていたとする説もあった。江戸時代に入ってから江戸幕府が「徳川」姓は将軍家御三家御三卿のみに限るという方針をとったため、信康は死後になって「岡崎三郎 松平 信康」に格下げされたとする解釈である[10]。だが織田信長佐久間信盛に宛てた天正3年(1575年)6月28日付書状の中において、娘婿の信康を「松平 三郎」と呼んでいることから、家康が徳川姓に改称した後も信康は松平姓のままだったことが判明した[11]
  2. ^ 1636年寛永13年)7月に徳川賜姓するまでは松平姓を称した。
  3. ^ 但し、一時期これら以外に駿河徳川家甲府徳川家館林徳川家も存在した。
  4. ^ 永禄8年(1565年)の永禄の変足利義輝が殺害されてから永禄11年(1568年)に足利義栄が就任するまで、将軍は空位であった。
  5. ^ 谷口雄太は家康が新田氏の祖である新田義重からの系図ではなく、その父である義国からの系図を足利氏流である吉良氏から借りた背景として、得河氏が足利氏の一門であったからとしている。谷口は新田氏流を『太平記』の影響で後世に成立したフィクションであるとして、実際においては(家康自身の認識も含めて)新田氏とその一族は足利氏流であったとする立場に立つ[15]
  6. ^ a b c 徳川姓とする史料が現存せず、松平姓であったとされる。
  7. ^ 慶朝には2男1女の子供がいたが、離婚時にいずれもに引き取られた。

系図注釈

  1. ^ (紀州)徳川光貞の四男。頼宣の孫。
  2. ^ (一橋)徳川治済の長男。宗尹の孫。
  3. ^ (水戸)徳川斉昭の七男。一橋家9代当主。
  4. ^ 高須藩主・松平義建の五男。一橋家10代当主。
  5. ^ (田安)徳川慶頼の三男。
  6. ^ (会津)松平一郎の次男。母は家正長女・豊子。

出典

  1. ^ 「紋章・マーク・シンボル」野ばら社。[要ページ番号]
  2. ^ 旺文社日本史事典 三訂版『徳川氏』 - コトバンク
  3. ^ a b c d e 辻達也 「徳川氏」『国史大辞典』(吉川弘文館
  4. ^ 小田部雄次 2006, p. 322 - 323/325/340/344 - 345/360.
  5. ^ 村岡幹生 「松平氏〈有徳人〉の系譜と徳川〈正史〉のあいだ」・平野明夫 編 『家康研究の最前線』(洋泉社2016年平成28年))。後、村岡 『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院2023年令和5年))所収。2023年(令和5年)、P21.
  6. ^ a b c 笠谷和比古 1997, pp. 36.
  7. ^ 称名寺 (府中市)
  8. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 38.
  9. ^ a b c d e 笠谷和比古 1997, pp. 34.
  10. ^ 谷口克広:信長と家康-清州同盟の実体 (p212)
  11. ^ 柴裕之 「松平信康事件は、なぜ起きたのか?」 渡邊大門編 『家康伝説の嘘』(柏書房2015年(平成27年)
  12. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『徳川氏』 - コトバンク
  13. ^ 樋口清之監修・丹羽基二著 『姓氏 姓氏研究の決定版』(秋田書店1970年(昭和45年)、p.228)
  14. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 39.
  15. ^ 谷口雄太 「足利一門再考 -[足利的秩序]とその崩壊-」・『史学雑誌』 122巻12号(2013年(平成25年))/所収:谷口『中世足利氏の血統と権威』(吉川弘文社、2019年(令和元年)) ISBN 978-4-642-02958-2 2019年(令和元年)、P184 - 191・202.
  16. ^ 小和田哲男「松平清康」『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)。
  17. ^ 『静岡県史〈資料編:中世3〉』p1102。『愛知県史〈織豊1〉』 p61。
  18. ^ a b 笠谷和比古 1997, pp. 40.
  19. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 35.
  20. ^ 米田雄介「徳川家康・秀忠の叙位任官文書について」『栃木史学』〈8号〉、1994年
  21. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 46.
  22. ^ 村川浩平 1996, pp. 81.
  23. ^ 村川浩平 1996, pp. 75.
  24. ^ 村川浩平 1996, pp. 66–68.
  25. ^ a b c 浅見雅男 1994, p. 245.
  26. ^ 小田部雄次 2006, p. 354.
  27. ^ 小田部雄次 2006, p. 345.
  28. ^ 将軍の肖像画、下絵はリアル 徳川宗家に伝来、研究進む (日本語) - 朝日新聞 2012年(平成24年)8月8日
  29. ^ 鶴は千年、亀は萬年。 (日本語) - 2012年(平成24年)8月8日


「徳川氏」の続きの解説一覧

徳川(紀州)家

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駿府藩」の記事における「徳川紀州)家」の解説

50万石親藩。 頼宣

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徳川(駿河)家

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駿府藩」の記事における「徳川駿河)家」の解説

55万石親藩忠長

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徳川家(三河・遠江)

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麒麟がくる」の記事における「徳川家(三河遠江)」の解説

徳川家康とくがわ いえやす) (松平竹千代松平元信松平元康徳川家康) 演:風間俊介竹千代岩田琉聖 / 元信池田優斗松平広忠嫡男幼名竹千代たけちよ)、初名は元信(もとのぶ)、次いで元康(もとやす)と名乗り今川氏から独立後に徳川の姓を名乗り徳川家康改名する尾張古渡城織田家人質となっていたところ、農民として潜入していた光秀出会う生き別れた母に会うため刈屋城に連れて行くよう光秀に頼むが、我慢して時を待つよう諭される。織田家では信長懐いており、信勝の将棋を「つまらない」と評する。 父・広忠暗殺したのは信長の命であることを承知の上で、信広との人質交換今川家へと身柄を移すが、今川三河にとって敵であるとの認識を心に秘める今川義元による最後尾張侵攻では先鋒として三河勢を率いる。母から離反促す書状受け取るも、家臣犬死にから守るため、しばらくは今川勢に従い続け決断下す。しかし義元三河守になったことを知り、また今川勢が三河勢を酷使しようとすることに反発家臣休養取らせることを名目転戦命令拒み、このことが結果的に義元敗死一因となる。 その後信長同盟者として戦うが、信長を完全に信用しているわけではなく織田家唯一信頼できる人物ある光秀に不安を打ち明けることもある。築山殿嫡子信康信長疑われた際には摂津沖の船上光秀密会し光秀への信頼をさらに強める。甲州征伐祝して信長から安土招かれるにあたり毒殺恐れて饗応役光秀指名したが、これが信長反感を招く。理不尽な仕打ち受けた光秀見て謀反可能性感じ取り菊丸派遣するが、光秀から200年300年続く平和な世を共に作りたいの手紙を託されたことで、急ぎ三河帰還する松平広忠まつだいら ひろただ) 演:浅利陽介 竹千代の父。松平家当主三河岡崎城主。 嫡男竹千代人質として織田家出していたが、今川家を仰ぐことを決める。今川による織田攻め前に信長の手の者に暗殺され、その首級信長から信秀献上されることとなる。 於大の方(おだいのかた) 演:松本若菜 竹千代の母。 水野家織田方についたため、広忠離縁され刈屋城戻されている。今川による尾張侵攻の際、信長相談のうえで、元康離反促す書状書き送る桶狭間の戦いの後、16年ぶりに元康再会する水野信元(みずの のぶもと) 演:横田栄司 竹千代伯父於大の方の兄。三河刈屋城主、のち尾張緒川城主。 源応尼げんおうに) 演:真野響子 元康母方祖母於大の方実母駿府・智源院の尼僧駿府元康保護者代わりとして付き添っている。 築山殿つきやまどの) 演:小野ゆり子 家康正室菊丸きくまる) 演:岡村隆史 三河出身農民野盗捕縛され売られそうになっていたところ、美濃明智荘にて光秀によって解放される周辺国状況事情詳しく、市や海道物売り出かけることもある。その後もたびたび光秀出会い、主に光秀旅回りときには色々と手伝うようになる光秀通じて知り合ったに対しては「知ると離れがたくなる御方」と光秀評している。 正体竹千代の母・於大水野家仕え忍び乱波)。水野家より竹千代見守ることを命じられており、尾張近辺潜入していたのもそのためで、光秀の前で人質となっている竹千代境遇深く同情し共感を示す態度とってもいる。竹千代今川家渡される同じく自身駿河移り惹かれている駒の影響もあって薬種問屋に春次(はるじ)の名で勤め始める。 今川尾張攻めの際には、於大からの書状陣中元康届けて自身織田信長への加戦を元康促している。 信長入京後は家康忍びとして諸国諜報活動行っており、得た情報光秀伝えられることも多々あるその後、東庵や駒の助手となり、常連のなかや丸薬販売先から情報聞き出していたが、秀吉見破られる光秀菊丸正体気づき逃亡するよう促され三河に戻るが、その後家康密使としてしばしば光秀前に現れる本能寺の変前に光秀案じる家康により供をするように派遣されるが、家康への伝言託され返される

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