誠彦王とは? わかりやすく解説

朝香誠彦

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/12 05:24 UTC 版)

朝香 誠彦
(誠彦王)
朝香宮家
続柄 孚彦王第1王男子

全名 朝香 誠彦(あさか ともひこ)
身位 →(皇籍離脱
敬称 殿下 →(皇籍離脱)
出生 (1943-08-18) 1943年8月18日(80歳)
日本東京府東京市芝区
高輪南町御用邸
配偶者 貴子[1]
子女 明彦
美貴子
父親 孚彦王
母親 孚彦王妃千賀子
役職 東京国際大学特命教授
日本食文化協会最高顧問
日本チェコ音楽協会名誉顧問
チェコ音楽コンクール名誉顧問
東京都庭園美術館館長特別顧問
日本国際連合協会監事
目黒区美術館館長特別顧問
ライシャワー・アカデミー名誉会長
異文化コミュニケーション財団会長
マーシャル方面遺族会名誉会長
ファイブ・ア・デイ協会会長
津カントリー倶楽部名誉理事長
朝光クラブ理事長ほか
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朝香 誠彦(あさか ともひこ、1943年昭和18年〉8月18日 - )は、日本旧皇族孚彦王第1王男子。朝香宮第3代当主。皇籍離脱前の身位で、皇室典範における敬称殿下皇族時代の名は、誠彦王(ともひこおう)であった。上皇明仁は又従兄弟にあたる。東京国際大学特命教授[2]、日本食文化協会最高顧問[3]、日本チェコ音楽協会名誉顧問[1](チェコ音楽コンクール名誉顧問[4])、東京都庭園美術館館長特別顧問[1]日本国際連合協会監事[5]目黒区美術館館長特別顧問[5]、ライシャワー・アカデミー名誉会長[6]異文化コミュニケーション財団会長[7]、マーシャル方面遺族会名誉会長[8]、ファイブ・ア・デイ協会会長[9]、津カントリー倶楽部名誉理事長[10]、朝光クラブ理事長[11]など、数多の要職・名誉職を歴任。

半生

旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)。誠彦は4歳で皇籍を離れるまでここに住まい、現在その縁で館長特別顧問を務める。

1943年昭和18年)8月18日午前5時50分、高輪南町御用邸において誕生[12]。御七夜の8月24日に誠彦と命名される[13]1947年(昭和22年)10月14日、祖父・朝香宮鳩彦王が皇族の身分を離脱したため、誠彦王も皇室典範(昭和22年法律第3号)第13条により皇籍離脱した(昭和22年宮内府告示第16号)。

東京芸術大学音楽学部器楽科(チェロ専攻)を卒業し、イタリアのサンタ・チェチーリア音楽院に留学[2]。帰国後、CBS・ソニーレコード株式会社に入社し、クラシック学芸制作を担当、2001年平成13年)に退社した[2]

2004年(平成16年)8月3日、韓国の武寧王陵を参拝した[14]。日本の皇族関係者の百済王陵参拝はこれが初めてとなった[14]2005年(平成17年)7月1日、朝光クラブを設立し、理事長に就任した[11][注釈 1]2012年(平成24年)10月15日、エドウィン・O・ライシャワー生誕百年を記念してライシャワー・アカデミーが設立されると、その名誉会長に就任した[6]2016年(平成28年)3月14日、マーシャル方面遺族会名誉会長に就任[8][16]2018年(平成30年)4月19日、久伊豆神社の「朝香宮殿下孔雀奉納80年祭記念春季例大祭」に大給乗龍[注釈 2]とともに臨席し、シダレザクラの記念植樹をした[17][18]。このシダレザクラは、のちの令和改元の際に記念御朱印帳の意匠に採り入れられた[19]2019年(令和元年)6月6日、ファイブ・ア・デイ協会の新会長に選任された(任期は2年間)[9]

親族

系譜

誠彦王 父:
孚彦王
祖父:
鳩彦王朝香宮
曾祖父:
朝彦親王久邇宮
曾祖母:
角田須賀子
祖母:
允子内親王
曾祖父:
明治天皇
曾祖母:
園祥子
母:
藤堂千賀子
祖父:
藤堂高紹(伯爵)
曾祖父:
藤堂高潔
曾祖母:
蜂須賀量子
祖母:
真田信子
曾祖父:
真田幸民(伯爵)
曾祖母:
大村隆子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明治天皇
(1852-1912)
在位
1867-1912
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大正天皇
(1879-1926)
在位
1912-1926
竹田宮恒久王
(1882-1919)
 
昌子内親王
(1888-1940)
北白川宮成久王
(1887-1923)
 
房子内親王
(1890-1974)
朝香宮鳩彦王
(1887-1981)
 
允子内親王
(1891-1933)
東久邇宮稔彦王
(1887-1990)
 
聡子内親王
(1896-1978)
昭和天皇
(1901-1989)
在位
1926-1989
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇
(1901-1989)
在位
1926-1989
竹田恒徳
(1909-1992)
永久王
(1910-1940)
朝香孚彦
(1912-1994)
盛厚王
(1916-1969)
 
成子内親王
(1925-1961)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上皇
明仁

(1933-)
在位
1989-2019
 
竹田恒正
(1940-)
 
 
 
 
 
北白川道久
(1937-2018)
 
 
 
朝香誠彦
(1943-)
東久邇信彦
(1945-2019)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今上天皇
徳仁

(1960-)
在位
2019-
 
 
竹田家
 
 
 
 
(男系断絶)
 
 
 
 
朝香家東久邇家

脚注

注釈

  1. ^ 同じく旧皇族で、伊勢神宮大宮司を務めていた北白川道久も参加[15]
  2. ^ 大給義龍伯爵に嫁いだ叔母・湛子女王の子。

出典

  1. ^ a b c 日本チェコ音楽協会:協会について
  2. ^ a b c TIU GUIDE BOOK 2020
  3. ^ “旧皇族が国を代表する組織のトップを務める理由とは”. 週刊ポスト. (2016年7月13日). https://www.news-postseven.com/archives/20160713_428858.html 2019年12月20日閲覧。 
  4. ^ チェコ音楽コンクール:運営組織について
  5. ^ a b 公益財団法人 日本国際連合協会 役員
  6. ^ a b “設立記念式典開催「次世代を担う」教育者を養成”. 日中新聞. (2013年4月26日). http://www.infochina.jp/jp/index.php?a=show&catid=16&id=1859 2019年12月19日閲覧。 
  7. ^ NPO 友情の架け橋音楽国際親善協会:「友情の架け橋」こどもの音楽交流(2007年1月21日)
  8. ^ a b マーシャル方面遺族会の沿革
  9. ^ a b “ファイブ・ア・デイ協会、新会長に朝香誠彦氏”. 日本食糧新聞. (2019年6月12日). https://news.nissyoku.co.jp/news/takagi20190610084815162 2019年12月19日閲覧。 
  10. ^ 津カントリー倶楽部「祝 第20回 朝香杯」より。
  11. ^ a b 団体情報・団体詳細:特定非営利活動法人朝光クラブ(2018年5月8日更新
  12. ^ 『官報』第4981号「宮内省告示」昭和18年8月19日。493頁。
  13. ^ 『官報』第4986号「宮内省告示」昭和18年8月25日。655頁。
  14. ^ a b “朝香宮家出身の朝香誠彦さん、百済武寧王陵を参拝”. 中央日報. (2004年8月4日). https://japanese.joins.com/JArticle/54511?sectcode=400&servcode=400 2019年12月19日閲覧。 
  15. ^ 『淑女録 行動する中部の女性群像 STAGE 6』中部経済新聞社ISBN 978-4-88520-119-6 192頁。
  16. ^ 井上賀雄「名誉会長に朝香誠彦氏ご就任」(PDF)『環礁・本部だより』第34号、マーシャル方面遺族会、2016年8月1日。 
  17. ^ 久伊豆神社公式ウェブサイトより:「ひさいずさんの孔雀」
  18. ^ 久伊豆神社公式Facebookアカウントより:【朝香宮殿下孔雀奉納八十年記念春季例大祭斎行】
  19. ^ 久伊豆神社公式Twitterアカウントより:令和元年記念御朱印帳について
  20. ^ a b c 「FRIDAY」1989年1月26日増刊号p36-37
  21. ^ a b 平成新修旧華族家系大成上p=24

誠彦王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 02:51 UTC 版)

朝香宮」の記事における「誠彦王」の解説

詳細は「朝香誠彦」を参照 誠彦王(ともひこおう)は孚彦王第1王子で、4歳祖父両親とともに皇籍離脱東京芸術大学音楽学部卒業後、レコード会社での勤務経て音楽・芸術関連名誉職多く就く。うちひとつは、誠彦が幼少期過ごした東京都庭園美術館館長特別顧問である。

※この「誠彦王」の解説は、「朝香宮」の解説の一部です。
「誠彦王」を含む「朝香宮」の記事については、「朝香宮」の概要を参照ください。

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