柔らかい心(第14週 - 第26週)
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「あさが来た」の記事における「柔らかい心(第14週 - 第26週)」の解説
1879年(明治12年)、女中・ふゆは、新次郎への恋心を胸に秘めたまま、父親が決めた縁談を受け入れようとする一方で、新次郎の妾候補だったことを知り複雑な思いを抱く。新次郎と出かけた帰り道に思いを告白するが失恋。傷心で涙するふゆの元に駆けつけた亀助は優しく寄り添い慰める。結局この出来事が原因で縁談は破談となるが、亀助に求婚され彼との結婚を決める。祝言を終えた亀助とふゆは、九州の加野炭坑で新たな生活を始める。(第14週) 1880年(明治13年)、榮三郎はさちと結婚し、よのは大奥様、さちは若奥さん、あさは奥さんと呼ばれるようになる。1881年(明治14年)、加野炭坑の借金もようやく返し終わりあさは銀行設立を願望したが、雁助の反対と五代の助言もありひとまず銀行設立は保留して新しい炭坑を買う。 あさと美和、新次郎と五代はそれぞれ友情を育てていくが、仕事をしない新次郎と仕事に忙しいあさは、娘の千代の「なんでだす(どうして普通の家と違うのか)」に戸惑う。その頃、五代が計画していた「北海道の官有物払い下げ」は官民癒着であるという新聞記事が載り、五代は世間から「悪徳商人」と呼ばれ大阪商人たちから非難を浴びる事態になる。しかし、新次郎と榮三郎の機転で五代の疑いは晴れ、大阪の繁栄のために生涯尽くすと誓った五代だったが、病に冒され始めていた。(第15週) 新しく買った炭坑が当たって、あさは次々と九州の炭坑を買い進め、加野炭坑は大きくなっていった。榮三郎と雁助の話し合いの結果、ついに加野銀行を3年後に設立することを決定する。いよいよ両替屋の加野屋がなくなることが決まって、雁助は店を去ることを考え、雁助と心を通わせるうめも思い悩み、2人の仲を知るあさも鬱々とする。 五代の助言もあり、銀行の頭取に榮三郎、その他の会社の社長は新次郎が務めることになる。その五代は、病を押して精力的に働いていたが病が悪化し、東京で療養生活に入って1か月後の、1885年(明治18年)9月に他界する。 3年後の加野銀行創立を目指して、大蔵省会計監査院で働いていた山崎平十郎を雇い入れる。その翌年、はつが藍之助と菊とともに、10年ぶりに加野屋を訪れる。あさとはつは子育てのことなどを話し合い、藍之助は店の商売に興味津々で、千代ははつの優しさに触れて戸惑う。 銀行のことに詳しい山崎のおかげで銀行開設の準備も順調に進む中、あさと新次郎は銀行の神様と呼ばれる渋沢栄一にも会い、1888年(明治21年)、あさはこの日のために後藤屋で誂えた洋装で加野銀行開業の日を迎える。一方、雁助は「お母様の働く姿をよく見ておくように」と千代に言い残して独りで加野屋を去って行く。 創業から3年後の1891年(明治24年)、加野銀行は大阪で10本の指に入るほど大きく成長し、商事部門の加野商店も順調で、榮三郎とさちにも女の子が誕生し近くに新居を構え、新次郎は尼崎の阪神紡績の初代社長に就任する。精力的に働くあさだったが、千代との関係だけはうまくいかなかった。(第16週 - 第17週) 実力有る女性に対して、進路がまだまだ開かれていない現状を知ったあさは、日本初の女性銀行員の募集をかけ、4人の女性を雇うことになる。あさと新次郎が千代の進路について考えていたある日、和歌山から藍之助が働かせてほしいと家出をして来る。数日、加野銀行で丁稚奉公をして喜びを感じていた藍之助だったが、あさの知らせで迎えに来たはつとよのの説得によって、心を残しながら和歌山に帰って行く。 千代が京都の女学校へ進学し寄宿舎生活に入った後のある日、新次郎の提案で、あさと新次郎は初めて2人だけの旅で、はつのいる和歌山へ行く。はつや惣兵衛たちのもてなしを受けて寛いだ時間を過ごすあさと新次郎だったが、村の世話役・倉掛の話で、みかん農業の厳しさも知る。その後の眉山一家の話し合いで、3年の期限付きで藍之助は再び加野銀行で働くことになる。 女性行員たちや加野銀行の評判が上がる中、要注意客の一人・成澤泉があさに面談を求める。日本初の女子大学校設立に向けての協力を求められて、あさは即座に断るが、彼から渡された女子教育についての論文を読んで感涙し、支援に乗り出す。女子大学設立資金30万円と見積もり加野銀行から融資しようとするが、山崎の反対と成澤の希望により、有志者の寄付で賄うこととなる。東京の教育者・大隈重信を訪ねたりと寄付金を集めに奔走するが、銀行の顧客の金を女子大学設立資金に回していると噂が立ち、取引をやめる客が大勢いると、榮三郎と山崎から苦言される。 その頃千代は、加野炭坑の落盤事故は子育てのために帰阪したことが原因と、あさが公言していたと知り、複雑な思いを抱く。帰省した千代は、あさとの会話を試みるが後回しにされ、複雑な思いから苛立ちをぶつけて大喧嘩になる。直後、あさは恨みを持つ客・萬谷に包丁で刺されて生死を彷徨うが、奇跡的に命を取り留める。(第18週 - 第20週) 病床のあさは、新婚当時や千代が産まれて間も無い時のことを千代に話す。子育てをした時間が今でも宝というあさの言葉で千代の誤解は解け、母娘は心を通わせる。後日、萬屋の逮捕を知ったあさは、彼の心情を推し量らなかった自身の対応を反省し、情状酌量を懇願する。 はつ夫妻や亀助など、入院中のあさを見舞いに様々な人々が訪れる。大隈の妻・綾子は女子大学設立賛同者の署名を集めて見舞いに訪れ、有志の妻たちもあさの活動に心動かされたことを伝えて励まし、最後まであさを支えることを誓う。数か月後にあさは退院し、通院しながら治療に努める。 一方、眉山家では、菊が山王寺屋復活は不可能と知らされ動揺する。転倒して骨折し病床に就いた菊は、はつの看病を受けるもしだいに衰弱し、家族に看取られながら息を引き取る。眉山家に弔問に訪れたあさは、はつや養之助やうめと共に、体調がすぐれないと聞いた東京の両親のもとを訪れる。重体の母・梨江は、ほどなくして家族に見守られながら息を引き取る。あさは忠興から、幼少時に学問を禁じたことを詫びられ、女子大学設立に役立ててほしいと目白の今井家別荘地の寄付を申し出される。 1896年(明治29年)春、千代は京都白川高等女学校を卒業し花嫁修業を始める。同じく卒業した千代の親友・田村宜は、あさの秘書見習いとなる。そんな折雁助の妻・ツネから、雁助が仕事中に負傷したとの知らせが届く。(第21週 - 第22週) 雁助が倒れたことが原因で工場経営が傾きかけ、ツネは榮三郎に借金を申し込む。雁助が意識を取り戻して借金話は取り消されるが、この事に因り、榮三郎は加野屋の第三事業として生命保険業への進出を決める。同じ頃、みかん農業を継ぐことを宣言したはつ・惣兵衛夫妻の次男・養之助は20歳を迎え、幼馴染・節と祝言を挙げるが、直後に新兵証書が届く。そして、養之助不在による家業の人手不足を心配して連れ戻しに来た祖父・栄達に応じ、藍之助は加野銀行を辞め和歌山へ帰って行く。 千代は、あさの入院先の病院で出会った青年・東柳啓介を忘れられない日々を送っていたが、二度と会うことはないと思っていたそんなある日、啓介が旅行ついでに加野銀行を訪ねて来て千代と再会を果たす。2人の様子を見たよのは、千代と啓介の縁談を膳立てしようと考える。よのから話を聞いたあさは、綾子を通じて東柳家に縁談を申し込むが、見合いの日取りが具体化する中、突如啓介から辞退の返事が来る。よのは、悲しむ千代に心を痛めて体調を崩しながらも、謝罪にやって来た啓介に考え直すようすがり頼む。また、あさと新次郎は、官吏として国を動かすことが夢と語る啓介に対し、政府を辞め事業で国を動かした五代についての思い出話をする。それから半年後、啓介は千代との結婚を胸に白岡家を訪れる。千代とともに喜んだよのは、2週間後に静かに息を引き取る。 あさは近々不況が来ると危惧して、優良企業に成長した加野炭坑を売却する。女子大学設立は、創設地を忠興から譲渡された東京・目白の土地に決定し、成澤は発起人大会を開催する。あさは、反対者からの抗議や嫌がらせにも動じず支援に奮闘し続け、1901年(明治34年)、当初の目標入学者数100名を上回る180名の入学者を受け入れ、いよいよ日本初の女子大学校・日の出女子大学が創立する。そしてあさの予感が当たり、「大阪恐慌」が始まった。(第23週 - 第24週) 預金の支払いを停止したり倒産する銀行が出てくる中、加野銀行は預金者への支払いを敢行する。さらに生命保険の重要性に着目したあさはこれを機に生命保険事業の合併・拡大を提案し、加野生命は2社の生命保険会社と合併して淀川生命となる。日本政府の救済融資により大阪恐慌は収束し、加野銀行の預金は増え続け、また淀川生命も飛躍的に契約数を伸ばす。 千代が無事祝言を終えた頃、体調の急変により病の床に就いた惣兵衛は、家族を集めて自身の人生について言い遺した後に静かに息を引き取る。一方、白岡家では千代夫婦に長女が誕生する。そして、新次郎の身体の異変に気付いたあさは、病院へ行くよう懇願する。(第25週) あさは、余命幾許もないと診断された新次郎との時間を過ごすため、実業家を引退する。夫婦で穏やかな日々を送る中、平塚明ら日の出女子大学の学生3人があさを訪ねて来る。あさに文句を並べ立てるも逆に褒められて唖然とする明だったが、あさを超える女性になると心に誓う。 最初の卒業生を送り出した日の出女子大学は、財団法人になることが決まる。卒業生の一人の宜は教授就任を見通して欧米への留学を予定し、加野銀行を結婚退職した元女性行員のサカエは、夫から女子大学進学を認められる。こうして、あさの思いが実になってきたことを知った新次郎は、突然倒れ危篤に陥る。そして榮三郎、千代、亀助に思いの全てを伝えた後、あさに「いつもそばにいる」と言い遺してこの世を去る。 新次郎の四十九日の法要の日、あさとはつは、互いに家を守ってきたことを称え合い、はつは孫の面倒を見ながら家を守り続けること、あさは女性たちの教育支援を続けたいと語り合う。 6年後、熱心に勉強を続けるあさは、別荘で年1回女性のための勉強会を開くことを決める。その第1回目の勉強会で、家族の女性たちや宜や成澤を集めての講義を終えたあさは、遠方に新次郎の姿を見かける。新次郎の元に駆けつけるうちに若い姿になったあさは、満開の菜の花畑で彼と再会して抱き合い、微笑み交わすのであった。(第26週・完)
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