柔らかい心とは? わかりやすく解説

柔らかい心(第14週 - 第26週)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 08:50 UTC 版)

あさが来た」の記事における「柔らかい心(第14週 - 第26週)」の解説

1879年明治12年)、女中・ふゆは、新次郎への恋心を胸に秘めたまま、父親決めた縁談受け入れようとする一方で新次郎の妾候補だったことを知り複雑な思いを抱く。新次郎と出かけた帰り道思い告白する失恋傷心涙するふゆの元に駆けつけた亀助は優しく寄り添い慰める。結局この出来事原因縁談破談となるが、亀助に求婚され彼との結婚決める。祝言終えた亀助とふゆは、九州加野炭坑新たな生活を始める。(第14週1880年明治13年)、榮三郎はさちと結婚し、よのは大奥様、さちは若奥さん、あさは奥さん呼ばれるうになる1881年明治14年)、加野炭坑借金もようやく返し終わりあさは銀行設立願望したが、雁助の反対五代助言もありひとまず銀行設立保留して新し炭坑を買う。 あさと美和、新次郎と五代それぞれ友情育てていくが、仕事をしない新次郎と仕事忙しいあさは、娘の千代の「なんでだす(どうして普通の家と違うのか)」に戸惑うその頃五代計画していた「北海道官有払い下げ」は官民癒着であるという新聞記事載り五代世間から「悪徳商人」と呼ばれ大阪商人たちから非難浴び事態になる。しかし、新次郎と榮三郎機転五代疑い晴れ大阪繁栄のために生涯尽くすと誓った五代だったが、病に冒され始めていた。(第15週新しく買った炭坑当たって、あさは次々と九州炭坑を買い進め加野炭坑大きくなっていった。榮三郎と雁助の話し合い結果、ついに加野銀行3年後設立することを決定する。いよいよ両替屋加野屋がなくなることが決まって、雁助は店を去ることを考え、雁助と心を通わせるうめも思い悩み2人の仲を知るあさも鬱々とする五代助言もあり、銀行頭取に榮三郎その他の会社社長新次郎が務めることになる。その五代は、病を押して精力的に働いていたが病が悪化し東京療養生活に入って1か月後の、1885年明治18年9月他界する3年後加野銀行創立目指して、大蔵省会計監査院で働いていた山崎十郎雇い入れる。その翌年、はつが之助ととともに10年ぶりに加野屋を訪れる。あさとはつは子育てのことなどを話し合い之助は店の商売興味津々で、千代ははつの優しさ触れて戸惑う銀行のことに詳しい山崎のおかげで銀行開設準備順調に進む中、あさと新次郎は銀行神様呼ばれる渋沢栄一にも会い1888年明治21年)、あさはこの日のために後藤屋で誂えた洋装加野銀行開業の日を迎える。一方、雁助は「お母様の働く姿をよく見ておくように」と千代言い残して独り加野屋を去って行く。 創業から3年後1891年明治24年)、加野銀行大阪10本の指に入るほど大きく成長し商事部門加野商店も順調で、榮三郎とさちにも女の子誕生し近く新居構え新次郎は尼崎阪神紡績初代社長就任する精力的に働くあさだったが、千代との関係だけはうまくいかなかった。(第16週 - 第17週実力有る女性に対して進路まだまだ開かれていない現状知ったあさは、日本初女性銀行員募集をかけ、4人の女性を雇うことになる。あさと新次郎が千代進路について考えていたある日和歌山から之助が働かせてほしいと家出をして来る。数日加野銀行丁稚奉公をして喜び感じていた之助だったが、あさの知らせ迎えに来たはつとよのの説得によって、心を残しながら和歌山帰って行く。 千代京都女学校進学し寄宿舎生活に入った後のある日新次郎の提案で、あさと新次郎は初め2人だけの旅で、はつのいる和歌山へ行く。はつや惣兵衛たちのもてなし受けて寛いだ時間を過ごすあさと新次郎だったが、世話役倉掛の話で、みかん農業厳しさも知る。その後眉山一家話し合いで、3年期限付き之助は再び加野銀行で働くことになる。 女性行員たちや加野銀行評判上がる中、要注意客の一人成澤泉があさに面談求める。日本初女子大学設立向けて協力求められて、あさは即座に断るが、彼から渡され女子教育について論文読んで感涙し、支援乗り出す女子大学設立資金30万円見積もり加野銀行から融資しようとするが、山崎反対成澤希望により、有志者寄付賄うこととなる。東京教育者大隈重信訪ねたり寄付金集め奔走するが、銀行顧客の金を女子大学設立資金回していると噂が立ち、取引をやめる客が大勢いると、榮三郎山崎から苦言される。 その頃千代は、加野炭坑落盤事故子育てのために帰阪したことが原因と、あさが公言していたと知り複雑な思いを抱く。帰省した千代は、あさとの会話試みるが後回しにされ、複雑な思いから苛立ちぶつけて大喧嘩になる。直後、あさは恨みを持つ客・谷に包丁刺され生死彷徨うが、奇跡的に命を取り留める。(第18週 - 第20週病床のあさは、新婚当時千代産まれて間も無い時のことを千代に話す。子育てをした時間今でも宝というあさの言葉千代誤解解け母娘は心を通わせる後日萬屋逮捕知ったあさは、彼の心情推し量らなかった自身の対応を反省し情状酌量懇願する。 はつ夫妻や亀助など、入院中のあさを見舞い様々な人々訪れる。大隈の妻・綾子女子大学設立賛同者署名集めて見舞い訪れ有志の妻たちもあさの活動に心動かされたことを伝えて励まし最後まであさを支えることを誓う。数か月後にあさは退院し通院しながら治療努める。 一方眉山家では、山王寺復活不可能と知らされ動揺する転倒して骨折し病床就いたは、はつの看病を受けるもしだいに衰弱し家族看取られながら息を引き取る眉山家に弔問訪れたあさは、はつや養之助やうめと共に体調すぐれない聞いた東京両親のもとを訪れる。重体の母・江は、ほどなくして家族見守られながら息を引き取る。あさは忠興から、幼少時学問禁じたことを詫びられ、女子大学設立役立ててほしいと目白今井家別荘地寄付申し出される。 1896年明治29年)春、千代京都白川高等女学校卒業し花嫁修業始める。同じく卒業した千代親友田村宜は、あさの秘書見習いとなる。そんな折雁助の妻・ツネから、雁助が仕事中に負傷したとの知らせが届く。(第21週 - 第22週) 雁助が倒れたことが原因工場経営傾きかけ、ツネは榮三郎借金申し込む。雁助が意識取り戻して借金話は取り消されるが、この事に因り、榮三郎加野屋の第三事業として生命保険業への進出決める。同じ頃、みかん農業を継ぐことを宣言したはつ・惣兵衛夫妻次男・養之助は20歳迎え幼馴染・節と祝言挙げるが、直後新兵証書が届く。そして、養之助不在による家業人手不足を心配して連れ戻しに来た祖父栄達応じ之助は加野銀行辞め和歌山帰って行く。 千代は、あさの入院先の病院出会った青年東柳啓介忘れられない日々送っていたが、二度と会うことはないと思っていたそんなある日啓介旅行ついでに加野銀行訪ねて来て千代再会を果たす。2人様子見たよのは、千代啓介縁談膳立てしようと考える。よのから話を聞いたあさは、綾子通じて東柳家に縁談申し込むが、見合い日取り具体化する中、突如啓介から辞退返事が来る。よのは、悲しむ千代心を痛めて体調崩しながらも、謝罪にやって来た啓介考え直すようすがり頼む。また、あさと新次郎は、官吏として国を動かすことが夢と語る啓介対し政府辞め事業で国を動かした五代についての思い出話をする。それから半年後、啓介千代との結婚を胸に白岡家を訪れる。千代とともに喜んだよのは、2週間後に静かに息を引き取る。 あさは近々不況が来ると危惧して優良企業成長した加野炭坑売却する女子大学設立は、創設地を忠興から譲渡され東京目白土地決定し成澤発起人大会開催する。あさは、反対者からの抗議嫌がらせにも動じず支援奮闘し続け1901年明治34年)、当初目標入学者100名を上回る180名の入学者受け入れ、いよいよ日本初女子大学校・日の出女子大学創立する。そしてあさの予感が当たり、「大阪恐慌」が始まった。(第23週 - 第24週預金支払い停止した倒産する銀行出てくる中、加野銀行預金者への支払い敢行する。さらに生命保険重要性着目したあさはこれを機に生命保険事業合併拡大提案し加野生命は2社の生命保険会社合併して淀川生命となる。日本政府救済融資により大阪恐慌収束し加野銀行預金増え続け、また淀川生命飛躍的に契約数伸ばす千代が無事祝言終えた頃、体調急変により病の床に就いた兵衛は、家族集めて自身人生について言い遺した後に静かに息を引き取る一方白岡家では千代夫婦長女誕生する。そして、新次郎の身体の異変に気付いたあさは、病院へ行くよう懇願する。(第25週) あさは、余命幾許もない診断され新次郎との時間を過ごすため、実業家引退する夫婦穏やかな日々を送る中、平塚明日の出女子大学学生3人があさを訪ねて来る。あさに文句並べ立てる逆に褒められ唖然とする明だったが、あさを超える女性になると心に誓う。 最初卒業生送り出した日の出女子大学は、財団法人になることが決まる。卒業生一人の宜は教授就任見通して欧米への留学予定し加野銀行結婚退職した元女性行員のサカエは、夫から女子大学進学認められる。こうして、あさの思いが実になってきたことを知った新次郎は、突然倒れ危篤陥る。そして榮三郎千代、亀助に思い全て伝えた後、あさに「いつもそばにいる」と言い遺してこの世を去る。 新次郎の四十九日法要の日、あさとはつは、互いに家を守ってきたことを称え合い、はつは孫の面倒を見ながら家を守り続けること、あさは女性たち教育支援続けたい語り合う6年後、熱心に勉強続けるあさは、別荘で年1回女性のための勉強会を開くことを決める。その第1回目勉強会で、家族女性たちや宜や成澤集めて講義終えたあさは、遠方新次郎の姿を見かける新次郎の元に駆けつけるうちに若い姿になったあさは、満開菜の花畑で彼と再会して抱き合い微笑み交わすのであった。(第26週・完)

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