川崎球場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 16:48 UTC 版)
川崎球場(かわさききゅうじょう)は、かつて神奈川県川崎市川崎区に存在した野球場。株式会社川崎球場が所有、運営していた[2]。2000年以降に大規模改修を実施してからはアメリカンフットボールや軟式野球等での利用が主となり、2014年に川崎富士見球技場(愛称「富士通スタジアム川崎」)へ改称された。
注釈
- ^ なお、この佐野の負傷の間にタイムがかかっておらず、インプレー中だったために一塁走者の野口善男がタッチアップして得点したことについて阪神側から提訴されたが、この訴えは同日開かれたセ・リーグ考査委員会で却下されている。その後8月1日の日本野球規則委員会で、野球規則の細則に「選手の生命にかかわる負傷が生じた場合は、審判員はタイムを宣告できる」とする条文が追加された。
- ^ その後1988年(昭和63年)以降は地方を含め、フェンスに緩衝材が設置されていない野球場では一切プロ野球の試合を開催しないと取り決められている。
- ^ 現在は東北楽天ゴールデンイーグルス本拠地
- ^ このためロッテの各選手、とりわけ東京スタジアム時代から現役を継続していた選手からの評判は悪いものであった。
- ^ 2005年(平成17年)に定められた「試合観戦契約約款」の第8条により、現在ではこれらの行為は全て禁止されており、場合によっては退場処分となる。
- ^ 千葉県野球場は夜間照明がなく当時は千葉都市モノレールも未開通だった
- ^ 栃木県側が誘致に非協力的だった
- ^ なお、実際にはロッテの福岡移転報道はダイエーによる買収により実施される予定であったが、合意寸前でロッテが球団売却を取り止めて球団保有を継続した上で別の場所への本拠地移転に方針を変更したため、中止となった(千葉ロッテマリーンズ#幻となったダイエーへの球団売却構想も参照)。
- ^ 2005年から2015年までは楽天が2軍の本拠地として、楽天イーグルス利府球場との併用で使用していた。
- ^ 日本のプロ野球球団でオリジナルコマーシャルを制作したのはロッテが最初であった[9]。
- ^ プロレスではスタンドだけでなく、フィールド部分もアリーナ席として使用し、さらに観客を収容できるため。
- ^ 西宮球場、大阪球場における最後のプレー経験者でもある。
出典
- ^ 施設概要(阪神電気鉄道「阪神甲子園球場」)
- ^ 株式会社川崎球場は、川崎富士見球技場となった後の2015年3月31日まで存続し、引き続き施設を所有していた。それ以後の施設は川崎市が所有している。
- ^ 鳥井守幸著『野球ふしぎ発見!』毎日新聞社刊より
- ^ “思い出される“原フィーバー”“出待ち”などアイドル並みの人気”. 夕刊フジ. SANKEI DIGITAL INC. (2014年8月8日) 2018年8月23日閲覧。
- ^ a b c d “ミスターマリーンズ初芝清 笑いと涙の17年『川崎球場のトイレは「戦時中の刑務所便所」…ガラガラのスタンドでは麻雀、焼肉、流しソーメン』”. 日刊ゲンダイ (2024年2月15日). 2024年2月19日閲覧。
- ^ “洗礼、思い出のラーメン、川崎球場… 大洋一筋14年の山下大輔が見たホエールズ”. Full-Count (2020年5月9日). 2020年5月9日閲覧。
- ^ 球場で流しそうめん、金田正一伝説。元ロッテ応援団員が明かすトンデモ話 - Sportiva・2020年9月15日
- ^ a b 沢柳政義『野球場大事典』大空社、1990年、p.293
- ^ “CM界 ロッテ・オリオンズ 中継がないから野球場へ行こう”. 読売新聞、1991年4月23日付東京夕刊、TV面. 読売新聞社. 2003年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月15日閲覧。
- ^ “ロッテ名物ウグイス嬢1800試合到達「こんなに幸せを感じた日はありません」”. デイリースポーツ (2019年7月30日). 2023年10月12日閲覧。
- ^ 平田瑛美 (2023年10月7日). “涙声で告げたファンへの別れ ロッテ名物アナウンスの谷保恵美さん”. 朝日新聞. 2023年10月12日閲覧。
- ^ “ロッテ名物の場内アナウンス・谷保恵美さん、「最後の」名調子に拍手…ファンら「日本シリーズで声聞かせて」”. 読売新聞 (2023年10月10日). 2023年10月12日閲覧。
- ^ 当初の横浜スタジアムでの開催予定を変更して「プロ野球サントリーカップ」として開催した。
- ^ 川崎球場:「川崎富士見球技場」に 新スタンド完成で(2014年4月10日 毎日新聞 同9月7日閲覧)[リンク切れ]
- ^ 『官報』2015年(平成27年)4月13日号外第84号、25ページ「解散公告」
- ^ “【ハードヒット】佐藤光留が大仁田に異例要求「川崎の照明塔を残す運動の先頭に立て!」 – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社 (2022年9月7日). 2021年8月19日閲覧。
- ^ “川崎球場遺構 文化財登録へ一歩前進 市議会が趣旨採択 | 川崎区・幸区”. タウンニュース (2020年2月14日). 2022年9月7日閲覧。
- ^ “川崎球場遺構 文化財登録へ一歩前進 市議会が趣旨採択 | 川崎区・幸区”. タウンニュース (2020年2月14日). 2022年8月29日閲覧。
- ^ “また一つ消える「昭和」 名勝負彩った川崎球場の照明塔、撤去へ”. 毎日新聞 (2022年9月7日). 2022年5月30日閲覧。
- ^ “【Web限定記事】 川崎球場時代からの「照明塔」ついに解体へ 設置は1954年、1月7日には「さよならイベント」も | 高津区”. タウンニュース (2023年1月6日). 2023年1月13日閲覧。
- ^ “富士通スタジアム川崎『新照明塔、発進!』”. 富士通スタジアム川崎オフィシャルブログ Powered by Ameba. 2023年1月13日閲覧。
- ^ “旧川崎球場で村田兆治さんお別れイベント「強い意志を持ち生きていく」ロッテOBら思い出語る - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年1月17日閲覧。
- ^ タウンニュース中原区版「日ハムグラウンド跡地 硬式対応の野球場に」2012年12月21日号、2013年5月15日閲覧
- ^ 等々力野球場の再整備、県内最大級の規模に/川崎市(2013年3月28日 神奈川新聞カナロコ 2013年10月26日閲覧)
- ^ 等々力硬式野球場改築工事について - 川崎市(2017年2月4日)
- ^ “等々力硬式野球場 工事再開 35億円増に”. タウンニュース川崎. (2017年12月22日) 2019年4月30日閲覧。
- ^ “改築中の等々力硬式野球場、来年10月に供用開始 川崎市発表 /神奈川”. 毎日新聞. (2019年11月13日) 2020年2月25日閲覧。
- ^ “「記憶に残るドラマを」 等々力球場で完成式典”. 神奈川新聞. (2020年10月20日) 2020年12月29日閲覧。
- ^ 週刊ベースボール 2020年6月8日号 39頁
- ^ 午前11:19 · 2024年2月4日(週刊ベースボールONLINE (@BaseBallMOnline) - X(旧Twitter) この投稿に1956年に高橋に入団した佐々木信也の写真があり、その後方に当時のスコアボードが掲げられていた)
- ^ 特別公開!期間限定、最高の球宴1960年オールスターゲームは凄い!!(産経映画社YouTube)
- ^ 文藝春秋「Sports Graphic Number180」1987年9月刊
固有名詞の分類
- 川崎球場のページへのリンク