スタンド撤去後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:01 UTC 版)
閉鎖直後の2000年(平成12年)4月からスタンドの撤去工事が開始され、順次撤去を開始(この間もしばらくの間、フィールドのみはアメフトなどで使用されていた)、8月から完全閉鎖し撤去工事が本格的に始まった。スタンドに設置されていた王700号のプレートは撤去前に取り外されて洗浄・研磨され、張本3000安打の表示板は王のプレートと同型のレプリカが作成され、先の川崎でのオープン戦で展示された後、ベースボール・マガジン社を介して新潟県南魚沼郡大和町の町立美術館に所蔵された。 2001年(平成13年)春、現施設の施工工事が順次完工して営業を再開し、5月に全面竣工した。フィールド部分と照明塔6基のうち3基および室内練習場はそのまま活用し、内野部分に2,700人収容の土盛りスタンドとアメリカンフットボールと兼用できる磁気反転式のスコアボードが新設された。硬式野球での使用はできないが、全国軟式野球統一王座決定戦・ジャパンカップ(ストロングリーグ主催)など草野球や軟式野球の他、アメリカンフットボール公式戦やプロレス、フリーマーケット会場等各種イベントに使用されている。右翼側のスタンド跡が遊歩道として整備された他、三塁側から左翼側にかけてのスタンド跡を活用して駐車場が拡張された。 2004年(平成16年)に、敷設していた人工芝が経年劣化したため、毛足が長く天然芝に近い感触を持つロングパイル型に張り替えた。Jリーグの川崎フロンターレが小学生や中学生のサッカースクールを開催している。 2007年(平成19年)に第3回アメリカンフットボール・ワールドカップが川崎市で開催され、川崎球場は中原区の等々力陸上競技場とともに開催会場の一つとなり、全9試合のうち開幕戦と決勝戦を除く7試合が行われた。これに合わせて老朽化した室内練習場が撤去され、新たに更衣室棟(クラブハウス)が建設された。この際アメフト観戦用の仮設スタンドが元のレフト・ライトのグラウンド上に新設された(野球用の1塁側の箇所がメインスタンド、同3塁側がバックスタンドで、従来の外野部分が縮小された。ゴール裏は従来に同じ)他、マウンドや各ベース部分などの土の部分についても全て人工芝化するなど事実上アメフト専用スタジアム化された。2009年に、よりアメフト用スタジアムとしての機能を増強すべく仮設スタンドの改修(主に旧ホームベース側への増設)が行われている。 アメリカンフットボール・ワールドカップの開催を契機に本格的な球技専用スタジアムとしてのリニューアルを図る方針からスタンドおよびグラウンドの増改築が行われ、2012年(平成24年)4月から2014年(平成26年)10月まで大規模な改修が行われた。これにより収容人員は4000人程度に拡大され、グラウンドの形状は野球場時代の「ダイヤモンド型」から長方形型の「球技場」形式のものへ一新されている。 2014年(平成26年)4月1日に施設名も従来の「川崎球場」から「川崎富士見球技場」に改称され、12日にメインスタンド(約2000席)竣工記念としてアメリカン・フットボール日本代表対ドイツ代表の試合が行われた。2015年(平成27年)に野球場の運営法人だった株式会社川崎球場も解散し、新球技場は川崎市が管理・運営元となった。この際、指定管理者として東急コミュニティーと川崎フロンターレが指名されている。 2022年(令和4年)、川崎市はスタンド撤去後も残されていた照明塔3基について、老朽化や安全性の観点から同年7月に撤去することを決定した。 ギャラリー 2007年のIFAFワールドカップジャパン以降、旧一塁側に設置された当時のメインスタンド。 同じく2007年のIFAFワールドカップジャパン以降、旧三塁側に設置された当時のバックスタンド。 2009年の8月以降、高さがなくなり芝生席方向へ伸びた現行のメインスタンド。 同じく2009年の8月以降、高さがなくなり芝生席方向へ伸びた現行のバックスタンド。 現行のメインスタンドの中寄りの入り口。階段下に見えるのは休憩所。 旧本塁付近にあったスタンド跡地は、現在は土盛りの芝生席となっている。
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