開場当初とは? わかりやすく解説

開場当初

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:01 UTC 版)

川崎球場」の記事における「開場当初」の解説

京浜工業地帯一角を占める川崎市は、多く企業経営製造拠点置いており、戦前から社会人野球盛んな土地柄だった。1951年昭和26年)、市内新たな社会人野球向けの野球場建設する機運高まり、市と日本鋼管東芝味の素日本コロムビア昭和電工いすゞ自動車などの主要企業共同出資し「株式会社川崎スタジアム」が設立され川崎市富士見富士見公園内に川崎球場竣工した1952年昭和27年3月内野スタンド設置され4月3日初めてのプロ野球公式戦として東急フライヤーズ大映スターズ戦が開催された。試合5-3東急勝利同年川崎でのプロ野球公式戦パ・リーグ東急大映の他、毎日オリオンズ主催40試合セ・リーグ読売ジャイアンツ巨人)及び国鉄スワローズ主催で7試合の計47試合が行われ、1953年昭和28年)も計23試合開催された。当時はセ・パ計5球団後楽園球場本拠地としていたことから、川崎首都圏でのプロ野球日程過密化していたのを解消するのに役立っていたといわれる外野広さ公称両翼90m、中堅120mだが実際はもっと狭く左中間右中間膨らみもほとんど無かった実測値両翼89m、中堅118m、左中間105m、右中間103mで、実際はこれよりさらに狭隘だったとする説もある。実際に当時一部新聞発表両翼実測87mと記載があった。そのため当時球場中でも狭くて本塁打の出やすい球場として知られた。中堅最深部が、本塁二塁を結ぶ線の延長よりやや左に寄った変形球場のため、打者視点からは違和感覚えることもあったとされる当初外野スタンドはごく最小限設備建設されその後左右対称増築する計画立案されたものの、右翼場外道路を通すことになったに伴い右翼側の増築部は道路計画沿って設計見直し右中間からポール際にかけて上半分を切り取るような変則的な構造となったこのため右翼スタンドは非常に狭隘で、右翼方向への本塁打場外飛び出すことがよくあり、右翼スタンド上段に高い防球フェンス設けられた。(国道計画その後経由地変更となり、代わって市道設けられた。) 1954年昭和29年)に発足した高橋ユニオンズが、プロ球団初め川崎球場フランチャイズとした。6月プロ本拠地として歴代6球場目となる照明設備増設され、ナイター開催が可能となった当時後楽園球場照明最大照度800ルクスだったが、川崎最大1100ルクス高照度を誇っていた。ただ6基の鉄塔の内、右翼側の照明塔は前述敷地の関係上、スタンドを跨ぐ格好設けざるを得なかった。設置当初はまだ電力供給不安定だったため、周辺工場群電力消費ピーク迎え時間帯ナイター重なった時に電圧低下して照明消灯してしまうハプニングもしばしば発生した10月25日開催され大映スターズ阪急ブレーブスダブルヘッダー観客数は、2リーグ制後プロ野球公式戦観客動員数最少記録とされる100であった実数25人だったとする説もある。川崎球場ではこの他にも1966年昭和41年10月12日サンケイアトムズ対中ドラゴンズダブルヘッダーで、2試合とも観客100人を記録している。1リーグ制時代最少記録1937年昭和12年7月17日洲崎球場開催されイーグルス名古屋金鯱軍戦の90人とされている。 1955年昭和30年)からは大洋ホエールズ川崎フランチャイズとし、セ・パ計2球団が川崎本拠地を置くことになった。しかし、高橋ユニオンズ経営悪化により1956年昭和31年オフ大映スターズとの合併によって消滅したため、2球団が川崎本拠地置いた期間はわずか2シーズン終わっている。7月28日開場記念試合敗戦投手となったヴィクトル・スタルヒン近鉄パールス戦で日本プロ球界史上初の300勝を達成した当初9月4日の対大映戦で達成したとされたが、その後公式記録訂正したため300勝目川崎での記録となった詳細スタルヒン来歴の項を参照)。 1955年昭和30年)に初のプロレス興行として力道山日本プロレスによる「夏の国際試合」を開催した

※この「開場当初」の解説は、「川崎球場」の解説の一部です。
「開場当初」を含む「川崎球場」の記事については、「川崎球場」の概要を参照ください。

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