球場改修を巡って
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 13:40 UTC 版)
1959年から、読売ジャイアンツがキャンプで使用するにあたり、球場の面積、グラウンド上の環境問題が浮上。 開場当初の球場面積は、両翼90m・中堅100mと非常に狭く、グラウンドの表面には、小石や砂利が落ちているほど、立派な球場環境ではなかった。 この問題を受け、読売ジャイアンツは、宮崎県に改修を要請した。 しかし、宮崎県議会は、なぜ巨人軍のためにグラウンドを改修しないといけないのかという強い疑問を持ったため、改修には反対。 反対を受け、協力会の会長であり、当時の宮崎市長・有馬美利と宮崎交通社長・岩切章太郎との間で、この改修工事について相談を行い、その結果、巨人軍のためならと、宮崎交通が費用を全額負担して改修工事を行うことに。 これにより、球場面積を両翼99m・中堅110mにまで拡張。それに伴い、開場当初は設置してあった外野スタンドは、基本無くす形に。 後に、球場近くの民家に打球が当たるのを防ぐために、フェンスを設置。 さらに、グラウンド全体の土を全て新しいものに入れ替える形になり、球場の環境問題は解決に至った。
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