球場解体以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:59 UTC 版)
備品の一部は1997年11月に行われた「さよなら平和台」にて、各備品ごとに事前申込者の中から抽選で無償譲渡された。 2002年には西鉄ライオンズOB会の有志が発起人となって記念碑が建立された。 球場解体後も外野スタンドや外壁の一部が残されていたが、2005年3月20日の福岡県西方沖地震によって外壁に亀裂が入るなどの被害を受け、崩落の危険性が生じたため、2007年12月から2008年4月にかけて全て解体撤去された。なお、撤去工事が終わった後にはフェンスが新設され、福岡市教育委員会が鴻臚館遺跡の説明パネルを設置した。 舞鶴公園の敷地内には現在、軟式野球専用の「舞鶴公園野球場」がある。
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