球場建築ラッシュと人工芝の流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:31 UTC 版)
「メジャーリーグベースボール」の記事における「球場建築ラッシュと人工芝の流行」の解説
詳細は「ドーム球場」および「野球場#人工芝」を参照 1960年代から1970年代にかけて、老朽化した野球場の立て替えとリーグ拡大によりできた新球団の新球場の建設ラッシュが起こった。この頃の流行は多目的球場とドーム球場だった。 野球人気が拡大する中NFLも急速に発展しており、野球とアメリカンフットボール両方のプロチームを持つ都市の多くは、野球のみを目的とした施設ではなく、両方ができる施設を建設したほうが経済的だったことから、1953年に開場したミルウォーキー・カウンティ・スタジアムを皮切りに多目的球場が多く建設された。多目的球場は野球とフットボールの両方を収容する必要があり楕円形のデザインをしていたため、古いスタジアムよりも相対的にいびつな野球場の形になってしまった。いびつで広いグラウンドは普通の広さの外野であれば本塁打になるはずの打球がただの外野フライになったり、ファールがフライアウトになったりという現象がたびたび起こった。このような特徴はプロ野球の本質を変え、本塁打や打撃力よりも防御率の高さが目立つ結果となった。 1965年、世界初の全天候型屋根付き球場アストロドームが開場。球場に屋根を付ける発想は、アストロズの本拠地ヒューストンが夏は高温多湿で雨が多く蚊の大量発生にも悩まされる、そんな気候に左右されない快適な環境をとの発想からだった。開場当初は屋外球場と同じ環境でプレーできるように透明のアクリル屋根であったが、光が選手の目に入りプレーに支障をきたすことから、すぐに太陽光を通さないパネルに替えられた。この際、球場内の芝が光を遮られたことで枯れてしまう問題が起きた。それを解消するため世界初の繊維による人工芝「アストロターフ」が開発された。アストロターフは維持コストが安く天然芝からの転換も容易なことから多くの野球場で採用された。人工芝は打球が早くなる特徴があり、今までより盗塁とスピードが重要視されるようになった。人工芝の表面はボールがより速く移動し、より高く跳ねたので、三遊間や一二塁間の「穴」を通しやすくなり盗塁もしやすくなった。チームは投手を中心にした構成に転換していった。投手の球速を保つため中継ぎがより重要視されるようになった。そのため先発投手は試合を完投する必要はなくなった。先発投手は6から7イニングを投げて中継ぎにつなぐだけで十分だった。この頃は盗塁の増加に反比例して本塁打数は減少した。本塁打はウィリー・メイズが1965年に52本を打った後、50本を超えたのは1990年までジョージ・フォスターが1977年に到達したのみだった。 1980年代、多くの球場で採用された人工芝であったが、下地がコンクリートやアスファルトで固く選手の足腰に負担がかかるという声があがるようになる。1989年、世界初の開閉式屋根付き球場のスカイドームが開場すると、屋根付きでありながら天然芝の生育が可能となる。1992年、天然芝のオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズが開場すると、レトロ回帰の新古典式野球専用球場が主流となっていき、徐々に人工芝の球場は減少していった。
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