開場後の沿革とは? わかりやすく解説

開場後の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:10 UTC 版)

三崎座」の記事における「開場後の沿革」の解説

安売り効果もあり開場直後開始大入りで、春木座にならい年無休とするほどであったが、9月ごろから客足悪くなり、17日間の興行12日間に短縮したまた、1892年4月10日神田発生した火事により休業したが、同月14日から20日まで慈善公演行なった明治期女性俳優前面出して隆盛した三崎座であったが、明治末年には一時衰退する女性俳優による女芝居替わって新派にも舞台提供したものの、衰退には歯止めかからず1914年大正3年)には歌舞伎上演が行われるようになった1915年大正4年11月三崎座株式会社化されて名称も神田劇場改名され青江支配人として再建図られた。青江新派重鎮中野信近一座迎え女性俳優陣として中村歌扇、中村歌江を中心として舞台打った中村歌扇、中村歌江は人気博し神田劇場三崎座伝統引き継ぎ女性による芝居で再び隆盛迎えた。しかし同僚中村歌江が亡くなったことによって歌扇も1921年大正10年)には引退したその後支配人青木旧派小芝居再興図り上演続けて比較安定した経営続けていた。 1923年大正12年1月神田劇場松竹直営劇場となり、松竹映画上映試みられたが同年9月1日関東大震災火災によって焼失する。翌1924年大正13年3月松竹によって劇場再興されたが、1925年大正14年3月松竹神田劇場の経営から離れた1926年には、神田座が三崎座を偲び女性のみの興行行なった久しく映画館として興行行なっていたが、1930年芝居復活させた。 1945年昭和20年4月戦災により焼失しその後再建されなかった 。

※この「開場後の沿革」の解説は、「三崎座」の解説の一部です。
「開場後の沿革」を含む「三崎座」の記事については、「三崎座」の概要を参照ください。

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