開塾後
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次に、『東京日日新聞』(第五五一号)に同医学所の学科課程、学生募集広告などが掲載された。 開校当時の学生募集広告 慶應義塾医学所此度社中申合せ本塾の傍に医掌所を設けたり、有志の子女は来り学ぶべし。其学科目左の如し。 一.予科窮理(クワツケソボス、ガノツト)舎密書(ウエルス、ユーマン)一.本科解剖書(ハルツホルン、グレイ)人身窮理(ハルツホルン、ダルトン)原病書(ハルツホルン)薬性書(ハルツホルン、ネルゲン)内科書(ハルツホルン、タソネル)外科書(ハルツホルン、ドロィツ) 右よ科の分は先づ(ハルツホルン)の書を以て其業を卒らしめ、次に此掌科を逐て諸家の書頬を研究せしむ。科の書を備へたり。春秋余りある人は益々博問を期すぺし。入社入塾等の規則は総て本塾に同じ。授乗一課(一時間に付)月謝七十五銭。但し二課を学ぶ者は一円五十銭。掘籍並に骨格等は望に任せて之を貸すべし。 東京三田二丁目慶應義塾 — 東京日日新聞(第五五一号)
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