開墾地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:24 UTC 版)
開墾地は13あり、開墾入植の順に従った地名がつけられたとされるが、実際には『東葛飾郡誌』が、入植開始時期を、初富が1869年10月、二和三咲が同年11・12月、五香六実は1870年1月、他は不明としているところ、柏市豊四季の豊四季四号稲荷の開拓記念碑には豊四季の入植開始が1869年10月とあり、二和・三咲より豊四季の入植が先となる。船橋市公式ホームページ『二和の歴史』では入植の時期を初富10月26日、二和11月11日とし三咲については示していないが、前述の内容と矛盾しない。流山市立博物館友の会研究誌『におどり』ではさらに詳細な分析を行い、地名は入植順ではなく、入植の計画順であることを具体的に示している。 地名は北島秀朝による命名とされ、開墾局の現地事務所は初富に置かれた。 初富(中野牧、鎌ケ谷市初富)享保期に統合された一本椚牧にほぼ相当。 二和(下野牧、船橋市二和)開墾会社解散後は三咲と統合され二和三咲村。 三咲(下野牧、船橋市三咲) 豊四季(上野牧、柏市豊四季)後、柏競馬場等。豊四季台団地は現存。 五香(中野牧、松戸市五香)開墾会社解散後は六実と統合され五香六実村。後、松戸駐屯地等。 六実(中野牧、松戸市六実) 七栄(内野牧、富里市七栄) 八街(柳沢牧、八街市八街) 九美上(油田牧、香取市九美上) 十倉(高野牧、富里市十倉) 十余一(印西牧、白井市十余一)当時の公文書ではトヨヒトだが、迅速測図では十余市。 十余二(高田台牧、柏市十余二)後、柏飛行場・高射砲陣等。現柏の葉等。 十余三(矢作牧、成田市十余三・大栄十余三・多古町十余三)当初はトヨミツ。開墾会社解散後分割、十余三郵便局は多古町。シンボリ牧場等。成田国際空港の一部。 開墾時期が異なる等の理由で他の地名となった所を略記する。 下総牧羊場(取香牧、成田市) 後、取香種畜場、下総種畜場を経て、下総御料牧場。唯一牧として存続。矢作牧と共に成田国際空港、空港所在地は牧の施設に因む古込。 鍋島開墾(小間子牧、八街市南部)、永沢社、佐倉同協社も創設。 習志野(下野牧、船橋・八千代・習志野市)後、騎兵学校。習志野駐屯地等。詳細は習志野参照。 また、鍋島開墾のように別途開墾されたため、番号順の地名でない所もある。
※この「開墾地名」の解説は、「小金原開墾」の解説の一部です。
「開墾地名」を含む「小金原開墾」の記事については、「小金原開墾」の概要を参照ください。
開墾地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)
佐倉牧と合わせ、明治の開墾入植計画の順に従った地名がつけられた。『東葛飾郡誌』では、入植開始時期を、初富が1869年10月、二和三咲が同年11・12月、五香六実は1870年1月、他は不明とする一方、上野牧の節に記す豊四季四号稲荷の開拓記念碑には豊四季の入植開始が1869年10月とあり、二和・三咲より豊四季の入植が先であった。流山市立博物館友の会会誌『におどり』ではさらに詳細な分析を行っている。地名は入植順ではなく、入植計画順である。小金原開墾と公文書にあり、一括した事業のため佐倉牧とともに地名を示す。小金牧にない牧の名称は佐倉牧のものである。 初富(はつとみ、中野牧・鎌ケ谷):統合された一本椚牧にほぼ相当する。 二和(ふたわ、下野牧・船橋) 三咲(みさき、下野牧・船橋) 豊四季(とよしき、上野牧・柏) 五香(ごこう、中野牧・松戸) 六実(むつみ、中野牧・松戸) 七栄(ななえ、内野牧・富里) 八街(やちまた、柳沢牧・八街) 九美上(くみあげ、油田牧・香取) 十倉(とくら、高野牧・富里) 十余一(とよいち、印西牧・白井):トヨヒトとある資料がある一方、迅速測図には十余市とある。 十余二(とよふた、高田台牧・柏) 十余三(とよみ、矢作牧・成田および多古)当初はトヨミツ。 小金牧全域が明治期の開墾地ではなく、習志野等、牧跡に当るが地名の異なる所、後に住所表記が変更になった所もある。一部では東京新田の俗称もあったとされるが、範囲等は不明である。
※この「開墾地名」の解説は、「小金牧」の解説の一部です。
「開墾地名」を含む「小金牧」の記事については、「小金牧」の概要を参照ください。
- 開墾地名のページへのリンク