高田台牧
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高田台牧(たかだだいまき)は柏市高田・西原を含む、主に十余二にあった牧で、西は流山市との境に達していた。柏市西原は谷津と新田により、西へ半島状に突き出た牧の形を残している。初期には上野牧と一続きで、東は正連寺を経て大堀川支流の地金堀源流を回りこみ、花野井や宿連寺に達していた。上野牧との分割後も大堀川のある篠籠田の谷津をはさんで近接、現江戸川台駅東の流山市との境で接していた。1879・80年、若柴・大青田・松ヶ崎の各村による合計27町歩以上の官有地の払受けがあり、これらの地名にも牧跡が含まれる。『東葛飾郡誌』に高田牧ともあり、高田原牧ともいう。『旧事考』には高田台牧ではなく捕込の地名による大青田牧があり、縦横1里、捕駒の地は大青田とあるが、同じ著者の『北総詩誌』では高田台牧がある。『日本地誌提要』には記載がない。 特に高田台牧では、明治の開墾後、三井組が直接土地を所有し入植者が小作農となる事が多かった。三井不動産に引き継がれた土地、米軍からの返還後、再び三井所有となった土地が多く、牧ではなかったが、戦後には三井所有となっていた土地もある。2012年6月現在、三井不動産のホームページに「三井不動産と柏の葉エリア」の項目があり、「三井が中心になって始まった開墾入植」「戦後も三井不動産ゆかりの地として」等と題した資料と当記事の地図が掲載されている。 他に比べ、小さな牧であったが、かつて柏飛行場も置かれる程の面積はあった。元から面積に比べ土手が多かった上、多くの土地が飛行場の他、大日本帝国陸軍の高射砲陣地設置、アメリカ合衆国の接収、朝鮮戦争時の再接収、冷戦期の柏通信所設置を経て、現柏の葉一帯の返還が遅れ、他の牧と比べ多くの土手が近年まで残っていた。TXの、残存した土手を結ぶような敷設と周囲の開発で、多くの土手が21世紀に入ってから失われた。陸軍が築いた土塁があり判別に注意を要する。柏の葉庭球場の池が示すように、地下水位が低く、農業用水が不足した場所が多い。 上野牧と一つだったため、江戸時代の記録は少ない。 1810(文化7)年、流山を出発した小林一茶は『七番日記』に 6月14日晴 小金原 下陰をさがして呼ぶや親の馬 と記した。後、布施村での中(昼)食があり、高田台牧に一致する。牧内での禁煙を示す 時雨るや煙草法度の小金原 永き日や煙草法度の小金原 や 母馬が番して呑ます清水かな も旅程・天候・季語から、場所は高田台牧か上野牧に当たる。 1869〜1872年の東京移住窮民6戸25人、近傍移住窮民72戸202人、1883年授産処分を受けた窮民493人である。 1872(明治5)年、十余二の山林原野600町歩余が三井八郎衛門の所有に帰した際、開拓者子弟の教育のため、三井学舎或は三井学校が設立され、市岡晋一郎が三井家の代理人として出張して校主となり、1886(明治19)年の教育令改正まで存続した旨の記述が『千葉県教育史第二巻』(以下、教育史)にある。教員のうち、高山虎之助は1913(大正2)年、十余二管理者として三井銀行より出張ともあり、大正期にも、三井が十余二を管理していた事が示唆される。 1875(明治8)〜1877年、三井文庫に大隈・青木周蔵の見分、岩倉具視への土地献納の記録がある。法廷闘争や土地所有を有利に進めるため、三井が十余二出張所の建物や一部の土地を有力者に渡した事の一環に当たる。 1879(明治12)年、大蔵卿大隈重信が「流山庄十余二」の土地を三井八郎右衛門高福より市岡晋一郎を経て取得した。土地は9町4反歩余りであった。翌1880年の迅速測図に、L字型の大家屋と3家屋を含む「大隈邸」の記載がある。迅速測図の大隈邸と三井の出張所の特徴が一致し、出張所が大熊邸になった事が判る。1974年の空中写真でも堀と土塁を有した約120メートル四方の敷地跡が確認できる。西と南の土塁が勢子土手で、後の柏特別支援学校の敷地の一部である。鍋島藩主の側近が土地を所有していた事を示す資料も千葉県文書館にある。早稲田大学史資料センターに、高田村〜豊四季村の住民の『旧小金原開墾地払下願書』があり、大隈と土地の関係を示唆する。 1890(明治23)年、十余二伊勢原大神宮境内に『小金原開墾碑』が建てられた。 1918(大正7)年、江見水陰の小説『利根の舟唄』に「諏訪の社を走出て、道を一筋に林に入り岡を上り川を渡り野に出れば、此所なん名高き小金の牧場」「只見る野馬の群、幾つなぎとなく此方に来る」とあり、松ヶ崎、呼塚の地名が続く。川と大堀川、地名が合致し、上野牧に接した諏訪神社から高田台牧までの特徴と一致し、廃止から50年後の牧の知名度を示す。 1825(大正14)年、田中村十余二庚塚雷神宮境内に『自作農制定記念碑』が建てられた。 柏の葉公園入口交差点近くに厳島神社があり、千葉県知事筆の開墾記念碑の裏面に「大隈及鍋島等」が土地を所有し戦後まで入植者の物とならなかった事が記され、隣に明治期の馬頭観音がある。 千葉大園芸学部の施設が飛行場跡にあり、2007年小林達明『都市における湧水生態系の保全に関する生態遺伝学的・景観生態学的研究』の研究がなされている。
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