初期の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 08:25 UTC 版)
ベテルギウスの明るさの変化は、1836年にジョン・ハーシェルによって発見され、1849年に彼が出版した著書『天文学概要』(Outlines of Astronomy)で発表された。1836年から1840年にかけて観測を行い、彼は1837年10月と1839年11月にベテルギウスの明るさがリゲルを上回った時にその明るさの大きな変化に気づいた。その後10年間は観測を休止していたが、1849年に、その3年後である1852年に変光のピークに達した別の短い変光サイクルに注目した。その後の観測では、数年の間隔で異常に明るい視等級の極大を記録したが、1957年から1967年まではわずかな変動しか見られなかった。アメリカ変光星観測者協会(AAVSO)の記録では1933年と1942年に最大極大視等級0.2等、1927年と1941年に最低極小視等級1.2等が観測されている。この明るさの変動は、ヨハン・バイエルが1603年に出版した『ウラノメトリア』で、通常ではベテルギウスより明るいリゲル(β星)に匹敵する明るさを持つとしてベテルギウスをα星に指定した理由かもしれない。北極圏から見たベテルギウスの赤い色とリゲルより高い天球上での位置から、イヌイットはベテルギウスをより明るい恒星であるとみなし、現地で呼ばれた名称の1つは「大きな星」を意味する「Ulluriajjuaq」であった。 1920年に、アルバート・マイケルソンとフランシス・ピーズはウィルソン山天文台にある口径2.5 mのフッカー望遠鏡の前面に直径6 mの干渉計を取り付けた。ジョン・オーガスト・アンダースンの助けも借りて、3人はこの干渉計を用いてベテルギウスの角直径を0.047秒角と測定した。当時測定された年周視差0.018ミリ秒に基づくと、ベテルギウスの直径は3億8400万 km(2.58 au)となる。しかし、周辺減光と測定の誤差により、この測定の精度には不確実性が生じた。 1950年代と1960年代には、ストラトスコープ計画と1958年のマーティン・シュヴァルツシルトとプリンストン大学の研究者Richard Härmの著書『Structure and Evolution of the Stars』の出版という、赤色超巨星の恒星対流理論に影響を与える2つの発展が見られた。この本は、コンピューター技術を応用して恒星のモデルを作成する方法に関するアイデアを広めることになり、一方でストラトスコープは、乱気流の上の望遠鏡搭載気球から撮影することで、それまでに見られなかった太陽の粒状斑や黒点の高画質画像を作成した。これにより、太陽表面の対流の存在を確認することができた。
※この「初期の発見」の解説は、「ベテルギウス」の解説の一部です。
「初期の発見」を含む「ベテルギウス」の記事については、「ベテルギウス」の概要を参照ください。
初期の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:03 UTC 版)
あらゆる年齢の30を超える標本が学術的に知られている。タイプ標本は頭頂部の骨で、1884年の夏にアルバータ州レッドディア川沿いのホースシューキャニオン累層の露頭から収集された。この標本は地質学者ジョセフ・ティレル率いるカナダ地質調査所(英語版)の発掘調査により1884年6月9日に発見されたが、特殊装備がなかったため彼らはほぼ完全な頭蓋骨を部分的にしか確保できなかった。1889年、ティレルとともに研究していたトーマス・チェスマー・ウェストンは、いくつかの骨格要素と繋がった小型の頭蓋骨を近くの産地で発見した。2つの頭蓋骨は既に存在していた種 Laelaps incrassatus にエドワード・ドリンカー・コープが1892年に割り当てた が、ラエラプスという属名は既にダニに使われており、オスニエル・チャールズ・マーシュが1877年にドリプトサウルス Dryptosaurus へ改名した。ライバルであるマーシュの作った名前にされることをコープは拒絶したが、ローレンス・ラムは1903年と1904年に化石を詳細に記載したときに Laelaps incrassatus ではなく1902年にオリバー・ペリー・ヘイ(英語版)が新組合せを作った Dryptosaurus incrassatus という表記を採用した。その直後、オズボーンは D. incrassatus が一般的なティラノサウルス科の歯に基づいており、ホースシューキャニオン累層の2つの頭蓋骨が本種に確実には分類できないことを指摘した。また、ホースシューキャニオン累層の頭蓋骨はドリプトサウルスのタイプ種 D. aquilunguis と大きく異なっており、オズボーンは1905年にこれらの化石を Albertosaurus sarcophagus と命名した。彼は化石を特に詳しくは記載せず、前年のラムによる完全な記載を参照した。ホロタイプ標本 CMN 5600 とパラタイプ標本 CMN 5601 のいずれもがオタワのカナダ自然博物館(英語版)に所蔵されている。21世紀初頭には、ホロタイプ標本の損傷状態が酷かったため他の標本を割り当てることができず、アルバートサウルスはタイプ標本だけを示す疑問名ではないかという意見も飛び出した。しかし2010年には、ホロタイプやパラタイプおよび後に発見された比較可能な標本が、ユニークな特徴を共有するあるいは固有派生形質を持つことを、トーマス・カール(英語版)が明らかにした。具体的には、それは口蓋骨のサイドの背側縁に広がる含気性の孔の存在であり、これはアルバートサウルスが有効な分類群であることを証明した。
※この「初期の発見」の解説は、「アルバートサウルス」の解説の一部です。
「初期の発見」を含む「アルバートサウルス」の記事については、「アルバートサウルス」の概要を参照ください。
初期の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 06:57 UTC 版)
太陽系外のハビタブルゾーンで初めて惑星が発見されたのは、最初の太陽系外惑星が発見されてからわずか数年後であった。しかし、初期に発見されたこれらのような惑星はいずれも巨大なガス惑星であり、そしてその多くは楕円軌道を描いて公転していた。それにも関わらず、研究ではこれらの惑星を公転する地球ほどの規模を持つ衛星なら液体の水が存在が支えられている可能性が示されている。初期の発見の一つとして、「暑すぎる」わけでもなく「寒すぎる」わけでもない温度を持つとされたため、当初「ゴルディロックス」という愛称で呼ばれていたおとめ座70番星bがある。しかし、後の研究で表面温度が金星並みに高くなっている事が示され、液体の水が存在する可能性は排除された。1996年に発見されたはくちょう座16番星Bbは、軌道の一部分だけがハビタブルゾーンを通過する楕円軌道を描いており、このような軌道は極端な季節変化を起こすとされている。しかしながら、シミュレーションではその周囲に十分に大きな衛星があれば、その表面で液体の水の存在が支えられることが示唆されている。 1998年に発見されたグリーゼ876bと2001年に発見されたグリーゼ876cは主星グリーゼ876のハビタブルゾーン内を公転する巨大ガス惑星で、両者ともに大きな衛星を持つかもしれない。また1999年にはアンドロメダ座υ星のハビタブルゾーン内を公転するアンドロメダ座υ星dと呼ばれる別の巨大ガス惑星も発見されている。 2001年4月4日に、その存在が発表されたHD 28185 bは、軌道全体が主星のハビタブルゾーン内に位置している巨大ガス惑星で、火星に匹敵するほどの低い軌道離心率を持っている。HD 28185 bの周囲でそもそも最初から衛星が形成されるかは明らかではないが、潮汐の相互作用により、地球質量ほどの規模を持つ居住可能な衛星を数十億年に渡って軌道上に留めれることが示唆されている。 地球の約17倍の質量を持つ巨大ガス惑星であるHD 69830 dは2006年に発見され、地球から41光年離れた恒星HD 69830のハビタブルゾーン内を公転している。その翌年には、かに座55番星fと呼ばれる惑星がかに座55番星Aのハビタブルゾーン内で発見されている。十分な質量を持つ衛星がこれらの惑星の周囲に存在していれば、その表面で液体の水が存在できると考えられている。 理論的にはこれらのような巨大惑星が衛星を持つことはできるが、現在の観測技術ではそのような衛星を検出することは難しく、存在が疑問視されているケプラー1625bの衛星の事例などを除いて明確に太陽系外衛星が確認されたことは未だ無い。そのため、ハビタブルゾーン内にある固体の表面を持った地球型惑星の発見は大きな関心を集めることになった。
※この「初期の発見」の解説は、「ハビタブルゾーン」の解説の一部です。
「初期の発見」を含む「ハビタブルゾーン」の記事については、「ハビタブルゾーン」の概要を参照ください。
- 初期の発見のページへのリンク