新組合
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不満を覚えた社員の間からは、現状打破を探る者が何人か現れた。彼らは秘密裡に連絡を取り合い、徐々に活動の輪を広めていった。活動開始から数年後、次第に正式な労働組合の必要性を感じた彼らは1968年、「時事通信労働組合」を結成した。組合には約120人が参加し、待遇改善などを要求する運動を展開した。対する執行部は新組合結成の動きを察知しており、組合委員長に就任する予定であった者を金沢に配転するなどの圧力をかけると共に、ほとんど活動を行っていなかった「時事通信社労働組合」を労使協調型の組合として復活させ、新組合と対抗させた。 新組合は当初、露骨な闘争路線を採らずに団体交渉を求めたが、長谷川は決して応じなかった。代わりに出席する社の代表は、待遇改善要求をことごとく拒否した。結成から1年4ヶ月のちの1969年11月10日、新組合は闘争委員会声明を発し、初めて編集局長の解任を要求するとともに、これまで封印してきたスト権の行使も辞さないと宣言した。 1970年、7人の記者が配転された。7人は全て組合員で、主要幹部も含まれていた。新組合は、長谷川体制打倒を前面に押し出して闘争を開始する。
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