新経済システム導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:09 UTC 版)
「ヴァルター・ウルブリヒト」の記事における「新経済システム導入」の解説
1963年以降、ウルブリヒトとその経済アドバイザー、ウォルフガング・ベルガー (Wolfgang Berger) は「新経済システム(ドイツ語版、英語版)」(Neues Ökonomisches System 、略称NÖS)を通じてより効率的な国家経済を作ろうと試みた。これは中央による計画経済のもとで、企業の独自採算制を導入するなど地方や各企業に対し決定権を大幅に移譲しようというものであった。この政策導入の理由は各企業の責任感を大いに刺激するだけでなく、決定権は時には現場が握ったほうがうまくいくことに気がついたからでもあった。ウルブリヒトの原理のひとつは政治や経済の「科学的な」実行であり、時には社会学や心理学も応用するものの、自然科学を政治や経済の運営に当たって全面的に活用した。新経済システムは、過去に起こった経済の失敗を訂正し、「壁」による国民流出の低下もあいまって1960年代の東ドイツ経済を効果的に発展させることになる。 しかしながら、この政策は党内では評価はあまり良いものではなく、1965年以降、側近のエーリッヒ・ホーネッカーや彼を支援するソ連指導者レオニード・ブレジネフの指導の下、新経済システムに対する反対派が次第に大きくなってきた。ウルブリヒトの自然科学応用への没頭は、経済の管理権を党指導部から現場の専門家達へと委譲するものであり、イデオロギー上の強硬派からは共産主義理論から離れつつあるとして違和感をもって見られるようになっていった。 また、自国の経済発展に自信を深めたウルブリヒトは東ドイツが社会主義国のモデル国家であると誇るようになったが、これは当然ソ連指導部の不興を買った。さらにウルブリヒトは、西ドイツのブラント首相による東方外交によって西ドイツとソ連やポーランドとの関係が改善することにも反対したため、ソ連指導部はソ連共産党の意向に従わないウルブリヒトを疎んじるようになっていった。
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