全日スト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:27 UTC 版)
1971年3月26日、新組合は決起した。午前4時、書記長が田園調布にある長谷川の自宅に電話をかけ、ストライキの開始を通告した。市政会館にピケを張った組合員らは、出社しようとする社員に対しては職場放棄を求め、幹部らとは乱闘を起こした。長谷川は、永田町のヒルトンホテルに退避して指揮を執った。 4月28日、組合は2度目の全日ストを断行した。会社側は150名の社員を泊まり込ませて組合と対峙。さらに機動隊をも出動させ、抵抗する組合側と乱闘する騒ぎとなった。 同日昼、3階のロビーで座り込みを始めた組合側に対し、経営陣4名が組合側の代表4名との交渉を提案した。これを了承した組合側は、ロビーで団体交渉を開始。午後11時過ぎまで続いたこの交渉で、組合側は「暴力行為調査委員会」の設置を求めた。社側もこれを了承したが、交渉は中途で終了した。 創業以来の混乱の中、5月29日に第51回定期株主総会が開催された。
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