全日ジュニアのホープ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:24 UTC 版)
「KAI (プロレスラー)」の記事における「全日ジュニアのホープ」の解説
6月10日、武藤祭にて土方、カズ・ハヤシを相手に3WAYマッチが決定。そして試合当日、なんとKAIは世界ジュニア王者の土方から必殺のスプラッシュ・プランチャでフォール勝ちを奪うという大金星を納め会場から大歓声を受ける。対戦相手の1人であるカズに「スゲー化け物が出てきたなって感じですね」と言わしめた。 6月28日、シリーズ最終戦では開幕戦でタッグマッチながら敗れていたT28からスプラッシュプランチャでリベンジ。そして土方、エル・サムライの世界ジュニア王座戦終了後にジュニアの面々がリングに集合。カズのマイクを横取りして挑発し次期シリーズのジュニア・ヘビー級リーグ戦に向けてアピールした。 ジュニアリーグ最終戦でMAZADAを撃破。決勝に上がってきた元世界ジュニア王者のシルバー・キングも変型みちのくドライバーII(後にLATと命名)で下し、1日2戦の激闘を潜り抜け優勝を果たした。デビューから1年5か月での快挙であり、若手ジュニアの中でも頭一つ飛び抜けた。 そして更に8月31日、両国国技館で世界ジュニア王者の土方隆司への挑戦が決定。デビューして1年6か月での世界ジュニア王座挑戦は世界ジュニア史上最速での挑戦である。 8月22日、後楽園での小島聡対TARU戦終了後、VOODOO-MURDERSにリンチされていた小島を天山広吉、大和と共に救出。小島、大和と新ユニット「F4」を結成し活動して行くことを宣言した。 8月31日の国技館大会で土方との世界ジュニア王座戦に挑んだ。期待は高かったが、初挑戦・初戴冠はならなかった。 10月13日、新日本プロレスの両国大会に参戦。G・B・Hと激突したが惜しくも敗れた。11月3日、KAIは両国でF4のメンバーと組んで新日本プロレスの天山、そしてIWGP・ジュニアタッグ王者の内藤哲也・裕次郎と対戦。 2008年末のプロレス大賞新人賞部門にノミネートされ、KAIも最終選考まで残るが惜しくも受賞を逃した。 2009年新春シャイニングシリーズで小島と組んで復活したアジアタッグトーナメントに出場。1回戦は通過したものの準決勝で敗れ、自身初となるベルト獲得はならなかった。 2月6日、鈴木みのる、MAZADA組との対戦後、再び小島と組んでアジアタッグに挑戦することが決定する。試合は、KAIが鈴木の逆落としからのスリーパーという必殺フルコースで敗れた。鈴木から「良いオモチャを見つけた」と賞賛(?)を浴びた。 5月15日に行われた腐男塾とのコラボ大会「腐ァイティングライブ 2009 勝つんだ!」では、第1試合で「阿修羅像」をモチーフにしたコスチュームでブードゥーマスクと対戦し勝利。試合後は四方に向かって4人で阿修羅像のポーズを決めた。 2009年度のジュニア・ヘビー級リーグ戦では、開幕戦で世界ジュニア王者のカズに勝利し前大会優勝者としての意地を見せる。そのまま勢いに乗ってAブロック1位に躍り出るも、優勝決定トーナメント1回戦でBブロック2位の近藤修司に敗れ優勝を逃した。 8月30日、両国大会ではF4の一員としてプロレスリング・ノアの小橋建太、菊地毅、伊藤旭彦と6人タッグで激突。 12月13日、ファン感謝デーにて大和と組んで小島と女子プロレスラーの下田美馬と対戦するが、大和が下田のラ・マヒストラルでフォール負け。試合後「恐れ入りました」と頭を下げた。 2010年、ブードゥーマーダーズとの抗争が激化し、2月7日の後楽園大会で敗者チーム解散キャプテンフォール・イリミネーションマッチを決行するがこれに敗北。F4の解散が決定してしまう。 その後は世界ジュニアに標準を絞り、3月の両国大会でジュニア絶対王者のカズに挑戦。KAIの王座奪取こそはならなかったが、カズから「ありがとう」との言葉を受け取った。 その後も全日若手のホープとしてジュニア戦線を盛り上げている。
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