初期の発明・改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 09:27 UTC 版)
タイプライターは1人の人間が発明したわけではない。自動車、電話、電信などと同様、多くの人々が発明や改良に関わり、結果として経済的に成り立つ装置が生まれた。実際、ある歴史家はタイプライターはおおよそ52回発明し直され、少しずつ使えるものになってきたとしている。 1714年、イギリスのヘンリー・ミル(en)はタイプライターのような機械について特許を取得しているが、詳細は不明である。他の初期のタイプライター開発者としては、カーボン紙を発明した イタリア人Pellegrino Turri などがいる。これら初期の機械は、文字を書けない人々のために考案された。 1829年、ウィリアム・オースチン・バート(en)が特許を取得した "Typographer" と呼ばれる機械も、他の数多くの初期の機械と同様、「世界初」のタイプライターとされている。ロンドンのサイエンス・ミュージアムでは、「タイプライターの機構として、文書が残っている発明として世界初」だとしているが、そういう意味では Turri の発明も文書が残っているし、バートよりも古い。発明者自身が使っても、その機械は手書きより遅かった。バートと支援者の John D. Sheldon は特許を買い取ってくれる人を見つけられず、バートのタイプライターが発売されることはなかった。その機械はキーではなくダイヤルで文字を選んでいたため、「キーボード・タイプライター」ではなく「インデックス・タイプライター」と呼ばれたが、それがタイプライターと呼ぶにふさわしいものかどうかについては議論の余地がある。 19世紀中ごろ、ビジネスの通信文書が増えてきたころから、文章を書くプロセスを機械化する需要が高まってきた。速記や電信では1分間に130語程度を書き記すことができるが、普通にペンを使って文章を書くと1分間に30語程度が限界だった(1853年の記録)[要出典]。 1829年から1870年にかけて、欧米では印刷機械やタイピング機械でいくつも特許取得されているが、いずれも商業的な生産には結びつかなかった。 Charles Thurber は、1843年に盲人のためのタイプライター、1845年には書工のためのタイプライターの特許を取得した。1855年、イタリアのジュゼッペ・ラヴィッツァ(it)は Cembalo scrivano o macchina da scrivere a tasti (筆記チェンバロもしくはキー式筆記機械)と呼ばれるタイプライターの原型を開発した。使っている人がタイプした文字をその場で見ることができる点が目新しかった。1861年、ブラジルの神父 Francisco João de Azevedo は、木やナイフといった手近の材料や道具で自分用のタイプライターを作った。同年、ブラジル皇帝ペドロ1世は、この発明を称えて金メダルを授与した。ブラジルでは、Francisco João de Azevedo がタイプライターの発明者とされており、そのことがこれまでも論争の種となってきた。1865年、アメリカの John Pratt が Pterotype という機械を造り、それが1867年のサイエンティフィック・アメリカン誌に掲載され、他の発明家を刺激した。1864年から1867年の間に、南ティロル(当時はオーストリアの一部)出身の大工 Peter Mitterhofer がいくつかのタイプライターを作り、1867年に作ったものは完全に動作した。
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