初期の用例
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初期の用例としては下記のものがあるが、いずれも「女忍者」という意味ではない。 五味康祐の『柳生武芸帳』(1956 - 1958年)には女に化ける「くノ一の術」が登場する。 司馬遼太郎の出世作『梟の城』(1958 - 1959年)では、男の忍者が、自身に恋心を抱く女を「くノ一の術」に利用する。
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初期の用例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:29 UTC 版)
武蔵野タンポポ団の『淋しい気持ちで』という曲(1972年1月発売のアルバム『武蔵野タンポポ団の伝説』に収録)には「せまい四畳半で 足腰たたねえ」という歌詞がある。音楽評論家の小川真一は、当初の「四畳半フォーク」とはこの武蔵野タンポポ団のメンバーたちを指す言葉だったのではないかと述べている。 『週刊読売』誌1972年8月19日号の特集「夏、若ものたちはなぜ去勢された ロック・フォークーあの怒りの爆発はどこへ…」という記事では、1972年のヒット曲のあがた森魚の『赤色エレジー』と吉田拓郎の『旅の宿』の歌詞を取り上げて「二つとも四畳半ムードのいかにも男女のカッタるい感じの歌である」と評している。 南こうせつとかぐや姫の『神田川』(1973年9月シングル発売)は今では四畳半フォークの代表例ともされるが、『神田川』の歌詞に出てくるのは四畳半ではなく「三畳一間」である。 フリーランサーというフォークグループの『わたしたちの夢は』という曲(シングル発売1974年7月)に「わたしたちの夢は (中略) 外車を乗りまわし マンションに住み 四畳半フォークを唄うことです」という皮肉めいた歌詞がある。またフリーランサーは『四畳半フォーク』という題名の曲(シングル発売1974年12月)も発表している。
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