「ジパング」と「ジャパン」の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:36 UTC 版)
「ジャパン」の記事における「「ジパング」と「ジャパン」の関係」の解説
『日本国語大辞典』『広辞苑』『大辞林』『大辞泉』など、多くの国語辞典では、いずれも「ジパング」から転じて「ジャパン」となった、としているが、その根拠は明確でない。また、以下に述べるように、「ジャパン」は「日本」の中国語読みが「ジパング」とは別の形で伝わったものであり、「ジパング」から派生したものではない、とする有力な異論が存在する。 『オックスフォード英語辞典』は、ヘンリー・ユールの説に基づき、「ジャパン」は中国語の Jih-pŭn がマレー語の Jăpung, Japang を経てヨーロッパ諸語に取り入れられたものであり、 Chipangu (チパング)と語源は同じだが別系統の語だとしている。 歴史学者の岡本良知は、「ジャパン」の初期の用例について、トメ・ピレス(英語版)『東方諸国記(ポルトガル語版)』(1514年筆)の Jampon 、ダミアン・デ・ゴエス(英語版)『マヌエル王代記』(1562年筆・1567年刊)の Japongos 、ジョアン・デ・バロス『アジア史』第1編(1552年刊)の Japões 、同第3編(1556年刊)の Japam を取り上げて検討した上で、いずれも16世紀に東アジアに来航したポルトガル人が、「日本」の中国音(広東音)を直接伝え聞いて記録したものであり、マルコ・ポーロの「ジパング」とは関係ない、と主張している。なお岡本は、ユールのマレー語経由説については否定している。 地理学者の海野一隆も、「ポルトガル人が新たに「ジャパウン」という呼称を作ったこと自体、従来の「ジパング」とは別のところだと考えていたことを意味するのであって、実際、この両者が同じものであると判明するには、かなりの歳月が必要だった」と指摘し、その根拠として、1554年のロポ・オーメン(英語版)の世界図において、ジャパン(大陸と陸続きになっている)とは別にジパングらしき無名島が描かれていることを挙げている。海野は、ジャパンとジパングが同一であることを示した最初の地図は、メルカトルの1569年版世界地図(en:Mercator 1569 world map)だとしている。
※この「「ジパング」と「ジャパン」の関係」の解説は、「ジャパン」の解説の一部です。
「「ジパング」と「ジャパン」の関係」を含む「ジャパン」の記事については、「ジャパン」の概要を参照ください。
- 「ジパング」と「ジャパン」の関係のページへのリンク