「ジパング」の綴りについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 09:14 UTC 版)
「ジパング」の記事における「「ジパング」の綴りについて」の解説
マルコ・ポーロの『東方見聞録』の写本・刊本によって一定せず、平凡社東洋文庫版(愛宕松男訳)の底本であるアルド・リッチ英訳本では「Chipangu」、フランス国立図書館 fr. 1116 写本(14世紀、イタリア語がかった中世フランス語)では「Cipngu」、グレゴワール本(14世紀、標準フランス語)では「Sypangu」、ゼラダ(英語版)本(1470年頃、ラテン語)では「Çipingu」、ラムージオ(英語版)本(1559年、イタリア語)では「Zipangu」となっている。愛宕訳ではリッチ英訳本に基づいて「チパング」と訳している。 また、1525年にプトレマイオス・C(PTOLEMY, C.)と、グルニンガー・J(GRUNIGER, J.)が、『マルコ・ポーロの(古)中国と伝説のジパングリ』(Marco Polo's Cathay and fabled Zipangri)を出版。同書に所載された地図にも、「Zipangri」と大きく記載されている。 1544年に書かれ、17世紀前半まで5か国語で合計35版発行された中世のドイツ人、ゼバスティアン・ミュンスターによる著作『Cosmographia』に掲載されている地図にも、「Zipangri」と表記されている。 同じく、アントウェルペンの地図製作者であるアブラハム・オルテリウス(Abraham Ortelius)が1570年に出版し、その後も繰り返し再版された地図帳『世界の舞台(Theatrum Orbis Terrarum)』に所載された東インドと周辺島嶼の図「印度東洋島図(INDIAE ORIENTALIS INSVLARVMQVE ADIACIENTIVM TYPVS.1570)」でもやはり「Hanc insulam M. Paul Venet Zipangri vocat.」の説明書きがあり、「この島をヴェネツィアのマルコ・ポーロは“ジパングリ”と呼ぶ」と記載されている。
※この「「ジパング」の綴りについて」の解説は、「ジパング」の解説の一部です。
「「ジパング」の綴りについて」を含む「ジパング」の記事については、「ジパング」の概要を参照ください。
- 「ジパング」の綴りについてのページへのリンク