ハワイ王国の隆盛とは? わかりやすく解説

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ハワイ王国の隆盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:05 UTC 版)

ハワイの歴史」の記事における「ハワイ王国の隆盛」の解説

カメハメハ1819年5月8日他界すると、長男リホリホ王位継承した。しかし、執政能力に不安を感じていたカメハメハ摂政(クヒナ・ヌイ)の地位新設しリホリホ義母にあたる妻のカアフマヌをその地位充てた。カアフマヌは、リホリホの母であるケオプオラニと協力し12世紀以降続いていた禁令制度カプ)の廃止進めた土着信仰として根付き、かつカフナたちの立場優位性築いてきたタブー率先して破り、神および神官存在否定した。こうして古代宗教神殿破壊され礼拝生贄といった儀式中止されることとなったが、階層構造により保たれていた秩序規範崩壊しハワイ王国波乱の時代迎えることとなった1820年3月31日アメリカ海外伝道評議会派遣した聖職者ハイラム・ビンガム、アーサー・サーストンらを乗せたタディアス号がニューイングランドよりコハラ到着した。彼らはそこで見たハワイ先住民たちの非道徳的振舞い衝撃覚える。男はマロ呼ばれるふんどしのような帯のみを身につけ、女は作った腰みのだけを身に付けフラダンスという扇情的な踊り踊り生まれた幼児を平気で間引く彼らの文化は、無知で、野蛮で、非人道的なものである理解するに十分であったこうした風紀社会秩序乱れ回復すべく、ビンガム主導として宣教師らはプロテスタンティズムによる社会統制試みたこうしたアメリカ人宣教師らの影響次第教育政治経済各分野広がっていった。 外交発展により、ハワイ王国では貨幣経済急速に浸透し後払いによる外国製品の輸入続けたため、みるみる負債膨らんでいった。この状況打破しようと、1823年11月23日リホリホ王妃のカママルを連れ貿易問題解消求めてイギリス・ロンドン赴いた。しかし一行滞在先で麻疹感染し、カママルは翌年7月8日に、リホリホ7月14日他界してしまった。リホリホの死を受け、わずか10歳の弟、カウイケアオウリが翌1825年6月6日大王即位する宣教師たち実質的な実権を握る摂政カアフマヌ近づきハワイのキリスト教化をすすめることに成功した1827年フランスよりカトリック教会宣教師ハワイ上陸したが、すでにプロテスタント浸透しつつあったハワイでの他宗派の影響による混乱危惧しカアフマヌ退去命じる。しかし1837年、再びカトリック司祭来航したことから同年12月18日ハワイでのカトリック布教信仰禁止の命がカウイケアオウリより下された。この命は1839年解除されたが、太平洋の他の諸島違いハワイにおけるプロテスタント影響優勢であり続けたプロテスタント宣教師らはまずハワイ人読み書きから教え始め1822年にはアルファベットによるハワイ語確立1834年には太平洋地域で初となる新聞『カ・ラマ・ハワイ』(1834年6月マウイ島)、『クム・ハワイ』(1834年10月ホノルル)が発行され1839年には聖書出版された。徹底した文教政策奏功し、ハワイ住民教育水準飛躍的な高まり見せ近代化加速度的に進行した。しかしこれは同時にハワイ伝統的な文化断絶意味していた。 1832年カアフマヌ没したため、摂政後任としてカメハメハの娘にあたるキナウが就任したハワイ王国西欧社会移入押し進めイギリスマグナ・カルタを基に1839年に「権利宣言」を公布、翌1840年10月8日ハワイ憲法公布され立憲君主制成立した1845年には基本法によって行政府として王、摂政内務財務教育指導法務外務の各職が置かれ15名の世襲制議員と7名の代議員からなる立法議会開かれた。しかし、なじみの浅い西欧文化戸惑うハワイ人他所にハワイ帰化した欧米外国人ハワイ政府要職に就く様子見られるうになるこうした土壌で、1852年にはハワイ新憲法採択されることとなった。この新憲法にはエイブラハム・リンカーン奴隷解放宣言を行うはるか前に奴隷制禁止条項盛り込まれるなど、リベラルなものとなったこうした西欧化アフプアア伝統とした土地制度にも及び、欧米的な土地私有概念取り込まれた。1848年には土地法が制定されハワイ土地王領地、官有地族長領地分割された。しかし1850年外国人による土地私有認められるうになると、対外債務抱えていたハワイ政府土地売却負債を補うようになり、1862年まで12年の間にハワイ諸島の約75%の土地外国人支配する土地となり、生活の基盤を失うこととなった1854年カウイケアオウリ没後1855年1月11日摂政であったキナウの次男アレクサンダー・リホリホ王位就いたこの頃行政府内にはアメリカ系イギリス系先住ハワイ人という3つの対立したグループ形成されていた。前王採択した一般成人男子参政権獲得による王権失墜危惧したアレクサンダー・リホリホは兄のロト・カメハメハと協力し貴族主義的君主制確立目指した。イギリスの王制を高く評価していたアレクサンダー・リホリホ1860年、「ハワイアン改革カトリック教という名のエピスコパルハワイ設立しイギリス本土よりトーマス・ステイリーをはじめとする英国国教会聖職者招聘した。この背景には息子アルバート洗礼させ、イギリスヴィクトリア女王教母として立てることで列強諸国対等の関係を築こうとした政治的思惑があったとされる。しかし、1862年溺愛する息子亡くし、そのショックから立ち直れぬまま翌1863年11月30日アレクサンダー・リホリホ自身死亡し、この目論見未達に終わる。王位即日兄のロト・カメハメハが継承した。 ロト・カメハメハは王権復古目指し1864年8月20日新憲法公布した。親英の王が続いたことでハワイ王国イギリス傾斜することを危惧したアメリカ合衆国は、極秘裏にハワイ王国併合計画始めたこうした中、次代王位継承者指名することなくロト・カメハメハが1872年急逝する。王位決定権議会委ねられ親米派ルナリロ1873年1月9日即位したルナリロアメリカ人閣僚に据えアメリカからの政治的経済的援助求め政策を執った。アメリカとの互恵条約締結目的とし、交渉なされたが、ルナリロ結核罹りそのまま没したため、王位は再び議会委ねられることとなった選挙の結果カメハメハ有力な助言者カメエイアモク、ケイアウェアヘウルの子孫に当たるカラカウア当選し1874年2月13日即位したカラカウア前王意思継ぎ1875年6月3日、米布互恵条約締結成し遂げた。この条約によりハワイ全ての生産品非課税アメリカへの輸出が可能となったが、第4条として「ハワイいかなる領土アメリカ以外他国譲渡貸与せず、特権与えない」との文言組み込まれハワイアメリカ傾倒拍車が掛かることとなった有効期限7年定めていた最初条約期限が近づいた1883年、この条約は米や砂糖生産業者などアメリカ国内において、合衆国利益損失するとして少なからぬ批判噴出したが、上院議員ジョン・モーガンなどの帝国主義的拡張論者らにより、「その他の、より高次元な益がある」として反対勢力押さえ込みかねてよりモーガン主張していた真珠湾独占使用権獲得することを条件として1887年11月条約更新なされた1887年野党議員ロリン・サーストンが中心となって急進的な改革志向する秘密結社ハワイアンリーグが設立された。同年6月30日、ハワイアンリーグはハワイ白人市民義勇軍ホノルルライフルズと協力しカラカウアに対して首相であったウォルター・ギブソンの退陣新憲法採択要求した。これに対し有効な対策取れなかったカラカウアは自ら組閣した内閣解散したその後、ホノルルライフルズらが起草した新憲法半ば強引にカラカウア承認させ、1887年7月6日通称ベイオネット憲法成立し王権の弱体化はさらに進んだカラカウア強大化するアメリカ系勢力牽制しようと日本盟主とする東洋諸国との同盟ベイオネット憲法廃案画策するなど王権復古試みたが、1891年1月20日、志を貫徹することなくサンフランシスコにて客死した1891年1月29日後任としてカラカウアの妹に当たるリリウオカラニ王位就いた。しかし、リリウオカラニ指名した閣僚再三にわたりそれを拒否し内閣成立しない政治危機続き1892年11月8日、ようやく組閣のための閣僚承認なされたリリウオカラニ山積する問題のうち、財政難打破対策として宝くじアヘン売買認可制度の下に許可するという法律制定したが、この政策対しアメリカ系白人勢力から道徳的観点からの批判噴出したまた、ベイオネット憲法に不満を募らせる王権派ハワイ人たちへの対策として1864年憲法バックグラウンドとした新憲法の制定計画したこうした動き危機感覚えたアメリカ公使ジョン・スティーブンスはロリン・サーストン、サンフォード・ドールらと接触しハワイ併合に対してハワイ王国転覆暫定政府樹立という具体的な計画始めた

※この「ハワイ王国の隆盛」の解説は、「ハワイの歴史」の解説の一部です。
「ハワイ王国の隆盛」を含む「ハワイの歴史」の記事については、「ハワイの歴史」の概要を参照ください。

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