ハワイ渡航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/09 15:51 UTC 版)
明治21年(1888年)ハワイにおける日本人移民の噂を聞いて渡航を決意、父から受け取った100円を持って横浜に向かったが、旅券を所持しておらず、渡航を止められた。しかし、同じく渡航を止められた林某と合流し、その友人の銀行員に相談して密航を計画、60銭余で船頭を雇いサンパンで船に乗り付け、中国人のボーイに2人分として12円の賄賂を与えたところ、キャビンに匿われ、乗り込みに成功した。空腹に耐えかね、神戸から来ていた大阪商人に世話を受けたが、いずれ見つかると観念し、イギリス人船長に自白したところ、70円の船賃によって三等船客として認められた。 ハワイでは旅券の確認が省かれ、上陸には成功したが、すぐに日本領事館に露見した。領事安藤太郎に呼び出され、叱責を受けたが、牧師鵜飼猛の勧めで禁酒会、共済会に入ることを決めると、在留が認められた。林某の同郷南某の周旋でパパイカウ(英語版)で労働した後、製糖会社に入った。ハワイで疫病が流行した時、ニューヨーク出身の医師ウイゲンの通訳として用いられ、休日には書物を教えられた。また、この頃岡部次郎や峰岸氏と交際した。
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