ハプニング・放送事故とは? わかりやすく解説

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ハプニング・放送事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:46 UTC 版)

「ザ・ベストテン」記事における「ハプニング・放送事故」の解説

毎年最初放送前にスタッフが「今年こそ迷場面集で笑いものにならないように誓います」と宣言するものの、生放送が故、うっかり裏方スタッフ横切ったり、あるいは画面に堂々登場するといったトラブルハプニング多かった下記主なハプニング放送事故列記するが、「放送事故に関してその旨該当項目冒頭記述する1978年世良公則&ツイストが「銃爪」の9週連続1位の際、「もう楽屋誰もいないから」と、発表コールされ前にスタジオ出てきてしまった。この時彼らは世良乗せた神輿担ぎ、「銃爪大明神」と大書した幟を押し立てて登場であった1978年11月16日松山千春が『季節の中で』で初出演した際に旭川市民文化会館からの生中継行ったが、当初3分間予定だったスピーチ長引き8分間及んだため、その後出演した山口百恵が歌う時間無くなってしまい、記念撮影だけ参加した。他の出演歌手はこの措置対し不快感示したが、当時プロデューサーである弟子丸千一郎が、それまでテレビ出演もせず地道な活動ここまできた松山と、テレビの力で人気になった他の歌手との努力の差を示した上で松山対する特別措置理解を示すよう訴え事態収めたという。この回の視聴率は30.6%。番組開始以来初め30越え記録したであった1980年長渕剛中継先で「順子」の歌唱中に、そばにいた歌手仲間たち桑名正博アン・ルイスら)に「あのー、済みませんが失恋の歌なので手拍子はやめてくださいませんか?」と言って演奏最初からやり直した。 1980年6月12日スタジオ出演歌手地方各地視聴者中継先から質問受け付けコーナーで、シャネルズ(後のラッツ&スター)に対し、ある青年が「黒人のくせに何でシャネルズフランスの高級ブランド名)なのか」と質問をした。メンバー鈴木雅之とまどいつつも「ブランド名元になったのではない」と答えたが、その後CM明け黒柳は「皮膚の色や国籍で“○○のくせに”と言うのは人種差別にもつながるので、そういう、人を見下すような言い方絶対にやめて欲しい」と、涙ながらに注意喚起したまた、ラッツ&スターになってから初の1位を獲得したあまりにその感激で、登場時に勢いよく飛び出そうとしてミラーゲートの回転ドア中心部強く押しすぎてドア外れて前に飛んだこともあった。久米曰く「ちゃんと弁償しいただいた」そうである。 1983年1月13日中森明菜がこの日「セカンド・ラブ」が5週連続で1位にランクイン作曲者来生たかおより祝福電話入り来生から「今日風邪で喉を痛めていると聞きましたが?」と心配されるも、中森は「大丈夫です」とコメント。しかし「セカンド・ラブ」の歌唱中、やはり風邪影響からか急に声が出にくくなり、歌唱終了後中森は涙を流したエンディングでの中森は、電話相手来生や同番組の出演者らに気丈に笑顔見せようしながらも、悔し涙止まらないままだった。番組終了後黒柳は、中森に対して良いお医者さんがいるの。(松田聖子ちゃんにも教えているから、是非聞いてみて」と気遣ったという。 1982年豪華版で、スタッフの手違いで本来はスタジオ最上部に吊るされるはずの1位のくす玉誤ってスタジオ下部落ちてしまった。この週の1位歌手中森明菜くす玉割って紙テープ紙ふぶきをかぶるためにわざわざしゃがみこみくす玉に顔を突っ込んだらしく(このとき、くす玉画面正面ではなく横向きであった)、翌年年末豪華版ゲストコメンテーターをしていたビートたけしは「女便所のぞいてんじゃないんだから…」とコメントした。 【放送事故1983年9月8日アルフィー南紀白浜ワールドサファリより生中継(曲はメリーアン)。しかし国内であるにもかかわらず衛星中継行ったため、バックカラオケと歌がずれた状態でオンエアされた。なおその際オリの中で歌っていた(毎日放送千里丘放送センター送出追っかけマン青木和雄)。 1984年杏里が「悲しみがとまらない」の歌唱中、側に座っていたチンパンジーに手を引っ掻かれ、その態度吹き出した杏里その後笑い堪えきれず歌えなくなってしまった。 1984年12月13日アルフィー愛知県犬山市ファンの家に突然押しかけ恋人達のペイヴメント」を歌うドッキリ企画行ったが、当のファン留守だった。しかも、アポ無し企画ゆえにリハーサルでは使用できなかった撮影ライト点灯させた影響機材電圧落ち、バンドセットが組めいために持ってきたカラオケテープが止まりそうになったため、中継スタッフが指で回して再生終始安定しない音質のまま歌う羽目になった。このシーンは、DVDTHE ALFEE ザ・ベストテンある日ィ突然! Complete edition 2000』にも収録されている。その後2019年10月7日放送の『歌のゴールデンヒット』にTHE ALFEE出演した際、上記留守だったファンスタジオ登場し35年越し対面果たした。 【放送事故1985年に「夏ざかりほの字組」(田原俊彦研ナオコ)の歌唱時、音楽歌い手聞こえなくなり順番を後に回された。 1985年吉幾三が「俺ら東京さ行ぐだ」で「今週のスポットライト」に登場した際、1番の途中で歌詞ど忘れし、スタジオ大爆笑初めからやり直した。ベストテンランクインした週には、歌の前「景気づけに」と黒柳からすすめられ日本酒飲んだところ、故郷青森思い出し涙ぐんでしまった。 【放送事故1985年9月19日カール・ルイスゲスト出演した回において番組進行押してしまい、本来流すべきCM放送できないという事態が発生したこの際、1分間番組内CM1回カットするべきところで、TBSマスター担当者ミスから番組内CMを2回分カットしてしまい、番組最後CMにおいて、本来関東ローカルで流すべきCM4本を全国放送してしまった。 1985年10月17日、「ザ・ベストテンin静岡」において、2位登場したとんねるずに対して客席総立ちに。とんねるず客席から大井川川越用の輿にのって登場するはずだったが、警備不備なども重なり観客によって衣装もみくちゃにされた。激怒した石橋貴明生放送中にもかかわらずステージ上で観客に対してふざけんじゃねぇぞ!この野郎!!」「てめぇら最低だ!」などと罵声浴びせ、身に着けている物を投げつけたりし、木梨憲武フォロー構わず、「雨の西麻布」を怒鳴り声歌った。その態度対し番組宛に抗議殺到し翌週放送石橋謝罪した。このシーン2009年10月27日放送の『大日本名作ドラマ主題歌とくばんスペシャル』でも放送されている。その際石橋のによれば当日は『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)の収録後静岡向かい時間都合上、細かい打ち合わせリハーサル無し本番突入してしまい、客席の中を渡る演出について不安を感じていたという。 1988年11月3日南野陽子3位ランクされた「秋からも、そばにいて」の歌唱途中歌詞一部忘れ出てなくなってしまった。秋真っ直中思わせる沢山の枯葉敷いたセットで、南野ロングスカート衣装歩きながら歌っていたが、本人曰くスタッフから『スカート枯葉散らさないように歩いて下さいと言われ、無事ステージ辿り着いた途端歌詞飛んでしまった」との事。なお黒柳はその直後南野に、歌詞掲載され台本見せるため駆け寄ろうとしたが、スタッフ止められたという。その黒柳行動見た南野は思わず手を震わせ歌い終えた後「どうもすみませんでしたごめんなさい!」と涙ぐみながら頭を下げて謝った。この歌詞忘れハプニングに、南野自身「あの瞬間歌手生命終わった思った」と後に語っている。翌週登場時、ファンから「失恋したのですか?」「体調悪かったのですか?」等という南野を心配するはがきが届いたが、南野は「いえ違います、ただのど忘れです。済みませんでした」と笑顔コメントした2002年12月30日の「ザ・ベストテン2002」にて、追っかけマン務めた安東弘樹TBSアナウンサー当時)が、松田聖子中継名古屋に向かうため、松田に「おつな寿司」を届けるべく東京駅から新幹線乗車したが、その際に「おつな寿司」を東京駅ベンチ置き忘れてしまった。この様子をスタジオからモニター見ていた黒柳安住紳一郎TBSアナウンサー)から失笑買った。この一件について、安東TBS退社しフリーになった直後2018年5月10日日本テレビ『PON!』生出演し、当時顛末語った(→「安東弘樹」の項も参照)。 番組スポンサーの1社が日立製作所だったにもかかわらずシャネルズの「ランナウェイ」(パイオニア=現・オンキヨー&パイオニアラジカセ『ランナウェイ』CMソング)や徳永英明の「風のエオリア」(松下電器産業=現・パナソニックエアコンエオリアCMソング)、Winkの「淋しい熱帯魚」(パナソニックのヘッドホン・ステレオSタイプCMソング)といったライバルメーカーのタイアップ曲ランクインしても、タイトル歌詞差し替えたりすることはなかった。しかし、やはりスポンサーであるキリンビール配慮し矢沢永吉の「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」(当時コカ・コーラ社CMソング)に限っては、ライバル社の社名を含むタイトル表記できず、レコード売り上げランキングでは「(C.M.SONG)」と紹介された。「今週20位から11位まで」のコーナー自体しばらく休止となったまた、番組スポンサーではない企業CMソング(特に、資生堂カネボウなど他の音楽番組ではスポンサー意向披露できなかった化粧品メーカーCMソング多かった)も番組内ランクインされていた。 C-C-B解散の際に、ベストテン「スポットライト」出演し解散についてのコメント及びヒットメドレーを披露しているが、1994年3月29日同窓会II登場した時には、(そのこと忘れていたせいか)黒柳から「解散した知らなかったの〜」といわれた。

※この「ハプニング・放送事故」の解説は、「ザ・ベストテン」の解説の一部です。
「ハプニング・放送事故」を含む「ザ・ベストテン」の記事については、「ザ・ベストテン」の概要を参照ください。

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