おお‐ぜき〔おほ‐〕【大関】
大関
大関(おおせき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 00:56 UTC 版)
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大関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 23:35 UTC 版)
富嶽八十吉(ふがく やそきち) 声 - 安西正弘 本名はイオテ・イヤオケア。 ハワイ出身。体重250Kgの巨漢力士。腕力は角界1であると愛宕山理事長に言われるほどで、突き押しを主に得意とする。播磨灘の「負けたら引退」宣言を受け、大関の地位でありながら急遽二日目に播磨灘と取り組まされて播磨灘に渾身の力で吊り上げられ土俵に叩きつけられた。引き付けての鯖折りもあるが、かつて稽古場で当時幕下だった兄弟子の腰の骨を折って廃業させてしまったため、封印していた(アニメでは愛宕山も記憶している大事件であり、回想で腰を折られた兄弟子が悶絶するシーンが描かれた)。九州場所編では、その封印を解き、播磨灘に挑むが相討ちとなって自分の腰の骨も折れてしまい、敗れてしまう(取組後、播磨灘の腰を砕いたことを診療所のベッドの上で理事長に報告。その後も7月場所編でさば折りを使うシーンがある)。 後に関脇に陥落するも、不屈の闘志で奇跡のカムバックを遂げ、「播磨灘十番勝負」の四日目に幕下以下の力士が締める黒まわしで播磨灘に挑んだが、全く歯が立たずに敗北。「人間(じんかん)いたるところ青山あり」の言葉を残して廃業、部屋を去る。その際、親方夫妻や部屋の力士たちから万歳三唱で送られた。 モデルは小錦。 玉嵐功央(たまあらし いさお) 本名は玉井新吉。 稽古の鬼と謳われる努力型の力士であり、取り組み後にも夜稽古をするほど。徹底的な猛稽古によって鍛えられた足腰による安定した重心と鍛えぬいた鋼のような肉体と高いスタミナを武器とする。維新竜ら弟弟子の指導にも熱心で、維新竜の敗北時には花道ですれ違った時に「土俵の外でも摺り足で歩けと言わなかったか」と叱りつけた。しかし播磨灘との取組では「お前の稽古は稽古のための稽古」と喝破され、敗北後に強烈な四股によって邪心を抜かれる。アニメではこの際、体から悪霊が抜けていくような描写がなされた。 実母はブティックを経営し他にも会社5社を保有し「事業の鬼」と呼ばれており(本人は「鬼のつもりが豚になっていた」と言っている)、事業を優先して玉嵐を養子に出した。初場所編では大関の先鋒として播磨灘に挑み、取組前日に実母と対面し壮絶な親子喧嘩をし自信を得て取組に向かう。結果敗れはしたものの、播磨灘の「土俵中央で殺す」宣言を覆した。 若不動克之(わかふどう かつゆき) 不動明王を信奉し、9月場所で新大関になった。播磨灘に完敗し、四股名の返上を迫られるも、逆に師と仰ぐ明澄法師から新しく不動王(ふどうおう)の名を授かる。九州場所で敗れた時には、播磨灘に悪のりしないようにと「四股名を“お不動”に改名せい!!」と言われた。初場所では改名を受け入れ勢い込んで挑むも、張り手一発で正体をなくして倒れ、播磨灘に消え失せろと怒鳴りつけられた。それ以降出番がなく、十番勝負にも登場しなかった。作者曰く「一見大物っぽいが神頼みタイプ」とのこと。玉嵐、若不動の2大関が十番勝負に出なかったことについては、作者は文庫版13巻の後書きで「志が低かったからではないか」と述べている。 紫電海勝巳(しでんかい かつみ) 声 - 大塚芳忠 本名は山中勝巳(やまなか かつみ)。 神奈川県出身。スピードと技を誇る天才肌の力士、将来の横綱昇進が確実視されている。播磨灘が最後に敗れた相手。学士出身ということもあって古典的な相撲界隈において、ウエイトトレーニングを導入するなど近代相撲の申し子というべき存在。力士体型でありながら軽々ととんぼ返りが可能であり、ボクシングをやらせればヘビー級チャンピオンになれると言われるなど作中に登場する力士の中でもセンスの高さを見せており、横綱の太刀風をして自分以上の天才と言わしめている。 表向きは飄々とした性格だが、悩みやすい内面も持っている。プレイボーイと目されているが、それは周囲の協力によるカモフラージュによるもので幼馴染の中嶋紀子一筋。秋場所編では播磨灘に勝利した後にとんぼ返りをすると記者たちに言い、再三に渡って出し投げで播磨灘を崩すも両腿を掴まれて真上に高く放り上げられ、強引にとんぼ返りをさせられ土俵下に落ちてきたところに突きを受けて花道まで飛ばされた。九州場所編では、播磨灘に勝つための策を考えに考え抜いた末に立ち合いで渾身の蹴返しを放つが、堪えた播磨灘にそのまま秒殺されてしまい、投げ飛ばされた後、「前相撲からやり直せ!!」と罵声を受け、紀子からも叱責を受けてしまう。 播磨灘出現以降の土俵の荒廃を憂いている。初場所編では初日に津軽山を出し投げで土俵外へ放り投げて腕を破壊、他一人を負傷させ病院送りにする。播磨灘との取組前日には死を覚悟して紀子に婚姻届を渡し、当日は「こうなったのも播磨灘を見過ごしたあんたの責任だ」と理事長に啖呵を切った上で、播磨灘を殺すつもりで流血戦を演じた。十番勝負編では一門の枠を超えて太刀風に稽古づけられたことで出し投げにさらに磨きがかかった。十番勝負の八日目に参戦した際も播磨灘を得意の出し投げで揺さぶるが「押しの無い相撲は吊りに弱い」と指摘され、変則の吊り落としを数回打たれて強い着地の衝撃を何度も受けた末に膝から崩れて敗れ、播磨灘から「技を磨く暇があるのなら押しを鍛えろ」と酷評される。
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大関
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新大関で2006年5月場所は初日から4連勝し、5日目に雅山に突き落としで敗れたがその後は白星を重ねて14勝1敗の好成績を挙げた。本割で唯一負けた雅山との優勝決定戦で、取組前にかいた汗により雅山の突きが滑るという幸運にも恵まれて勝ち、新大関の勝ち星記録更新という快挙も成し遂げて初優勝を果たした。21歳4か月での初優勝は貴乃花、大鵬、北の湖に次ぐ歴代4位の若さだった。12日目の帰りの車の中で「君が代」を教わり練習し、初優勝を果たした千秋楽では君が代を歌った。優勝パレードの旗手は、兄弟子の光法が務めた。
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大関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 05:44 UTC 版)
「モンゴル出身力士一覧」の記事における「大関」の解説
モンゴル出身力士で大関以上の番付に名を連ねたのは、これまでに5人(朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜、照ノ富士)で、いずれも横綱に昇進している。大関から陥落したのは照ノ富士のみであるが2021年に大関に復帰している。朝青龍から照ノ富士までモンゴル出身力士が大関昇進した場合の横綱昇進率は100%である。
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大関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:23 UTC 版)
ドローン操作が上手で、鬼塚の指示で隙を見て飯森のアパートに盗撮用ドローンを仕掛ける。
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大関(おおぜき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/16 16:25 UTC 版)
「オールラウンダー廻」の記事における「大関(おおぜき)」の解説
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大関(おおぜき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/18 00:23 UTC 版)
元FBI捜査官で両国県警察の刑事。常に化粧廻しに大銀杏を結っており、警察内部でも飛行機内でも土俵を持ち込んでいる。凶悪犯を取り締まろうとするが、犯罪より相撲関連の言動を優先しており、犯罪者や部下に相撲の修行をさせたり両国国技館にケツは向けられないと飛行機から飛び降りたこともある。その風貌から逮捕された人間は大抵失禁する。犯罪者は、怪我や気絶などの場合は不戦敗として許しているが、代わりに膨大な量のレポートを書くことを強要する。しかも、「それを書けば罪が軽くなるんですか?」と尋ねられると「ならん!!」と怒鳴り返し、犯罪者たちを唖然とさせるのが常である。ちなみに、レポートのテーマは「木工用ボンドと登校拒否の関係」や「エレキギターと鼻毛切りの関係」など、わけの分からないものばかりである。
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大関(おおせき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 02:20 UTC 版)
1889年(明治22年)まであった大関村古新田の区域。現在の新潟市西蒲区大関。
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大関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 14:28 UTC 版)
「竹本綱太夫門弟見立角力」の記事における「大関」の解説
東大関:竹本津賀太夫…二代目竹本津賀太夫。後の竹本山城掾(山四郎) 西大関:竹本むら太夫…四代目竹本むら太夫(都むら太夫)
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「 大関」の例文・使い方・用例・文例
- 社長の最大関心事の一つは従業員1人当たり人件費の増加である。
- 彼女の行動は私の最大関心事だ。
- 今場所の成績では彼の大関昇進は赤信号だ.
- 張出し大関
- 相撲で,大関という地位
- 相撲において,成績が悪ければ来場所は大関の地位を確保できない状態
- 大相撲で,平幕の力士が大関を倒す勝ち星
- 関脇という,大関の次位である力士の階級
- 大関以下の幕内力士が,揃ってしこを踏むこと
- 相撲において,大関という二番目に高い地位の人
- 相撲で,大関と関脇と小結という,横綱をのぞくと最も高い3つの位
- 朝青龍(あさしょうりゅう),大関取りに挑戦
- モンゴル出身の関脇(せきわけ),朝青龍が大(おお)相撲(ずもう)名古屋場所で大関に昇進する可能性が十分ある。
- 大関に昇進するためには,3場所連続の合計で33勝をあげることが必要である。
- 高(たか)砂(さご)親方は,大関昇進のチャンスを何度も失ったことがあった。
- 翌年,20歳5か月で最年少大関になった。
- 「集中力。相手が大関でも平幕でも同じ意識でいる。」と彼は話す。
- 大関栃(とち)東(あずま)は左肩を骨折し,三月場所の途中で休場した。
- 七月場所では,栃東は関脇に落ち,大関の地位に戻るには少なくとも10勝しなければならない。
- 6月3日から9日まで,大関琴(こと)欧(おう)州(しゅう)や関脇琴(こと)光(みつ)喜(き)など佐(さ)渡(ど)ヶ(が)嶽(たけ)部屋の力士13人がイスラエルを訪問した。
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